今年は、ちょくちょく、ちょちく。
1ヶ月くらい前だったでしょうか。
次の新しい年である2018年の目標が、すんなり決まったのは。
わたしは、新年を迎えるその瞬間に立ち会うたびに、あらたな年はどんな年にしようか、したいか、を実家の湯船に浸かって除夜の鐘を聞きながら考えます。
これもしたい、あれもしたい。なんだかドラえもんのオープニングの歌のように、次から次へとまるで夢物語を語るのです。
そして、そのたくさん出てくる「夢」の中から、これぞというものを見つけ出す。
そしてそれは、誰も聞いちゃいないのにいつも真面目ぶって、綺麗な、自分の本心から少し外れたようなものになっていくのです。
誰かに聞かれてもこれで大丈夫、と本人としては大満足。
除夜の鐘を聞きながら、ひとりほくそえむのです。
これは、目標や抱負というよりは、綺麗に俳句が作れたかのような「作品」。
もうその作品ができあがれば、できあがってしまいさえすれば、その目標を達成しようがしまいが、どうでもよくなってしまうのです。
そんな浅はかな人間なのです、私は。笑
しかし今年はというと、どうしたのでしょう。
不思議と「何にしようかな」と考える前に、自然と「こうしたい」と決まっていたのです。
それも一ヶ月も前から。
不思議です。
けれどきっと、やっと自分がやりたいこと、やらなきゃいけないことが誰に言われずとも自覚できたからかもしれません。
その目標とは、「貯蓄」。
お金を計画的に貯めることです。
社会人歴も10年を超えたにもかかわらず、今まで私はやみくもすぎました。
自分の欲望に正直すぎました。
もちろんお金が貯まっていないわけではない。
けれど、会社人生10年もしていれば、もう少しくらい貯まっていてもいいのでは、と自分の懐事情をはじめて真剣に直視してそう思ったのです。
もちろん、このまま暮らしていれば、今まで通りでいい。
そうなのだ。
なんの不自由もない。
自分ひとりが生きていければいいのだから。
いただいたお給料のお金が少しずつ残高ゼロにむかおうとも、次の月になれば、決して多くはないけれど通帳の残高がポコンと一つケタ上がるのだから。
それで、暮らしていけるのだから。
好きなものを食べて、好きな人と会って、好きな洋服をきて、それでいいじゃないか。
それができるだけで幸せじゃないか。
けれど、ちょっと待てよ、と思い立ったのです。
わたし、本当にこのままでいいのだろうか、と。
私は好き勝手お金を使いまくって、ほとんど貯金額は増えずに、静かな湖の水面のように静かな貯金用通帳の残高で、果たしていいのだろうか、と。
有り体に言えば、いい大人だ。
ついこないだ、33歳を迎えたいい大人だ。
やりたいことを自由にやって、あー面白かった、っていうだけでは薄っぺらいのだ。
それでいいのか、いやだめでしょ。
と林先生も否定をするに違いないのだ。
30歳を超えてから、20代で通用していた「ノリで乗り切る」やり方は通用しない、と感じることが増えたように思う。
20代は地面からすこしくらい足が浮いていても、かわいいね、で済まされる。
けれど、30代はどうだ。
地面から少しでも足が浮いていようもんなら、それだけ軽い、軽薄な人間だと思われるのではないか。
もちろん人は口に出してそんなことは言わない。もしかしたら、そうは思わないのかもしれない。
それは分からないけれども、私はそう思ってしまうのだ。
30代には重みが必要だ、と。
そう思っている私こそが、20代から何も変わることなくその「軽薄な人間」であり続けていた。
だから、そう気づいた今こそ、もっと芯の通った、筋のある、どっしりした根をもつ大木になるべく努力をしなければならない、と思うのだ。
そしてその手始めが、貯蓄というわけだ。
といってもそんなに多くのお給料を頂戴しているわけではない。
しかも一人暮らしをしているので、貯蓄に回すお金は多くない。
けれど、今まで欲望で支払っていたお金(「欲望金」とします)を貯蓄に回せなくはない。
欲望金の撲滅こそが、大人の階段の一段目であるのだ。
だから。
新たに、貯蓄用の銀行口座を作りました。
そして、そこに少しずつ毎月お金をプールしていくことにしたのです。
大人になるために、そして自分のペースをつかみ、自分で自分をしっかりコントロールできるように。
そんな理想を掲げて、今年は貯蓄をはじめます。