少し前進して、立ち止まって、そしてまた進む
せっかちな私は、ダイエットでも仕事でも、すぐに成果を求めてしまう。
待つことができない。
その効果がすぐに欲しいと思ってしまう。
料理だって、10分後には食べられるくらいのものがちょうどいい。
言ってしまうと、じっと待つことが苦手なのだ。
それを、今回まざまざと感じている。
2016年12月からライティングの勉強をはじめて、2000字の記事を書きはじめた。
今まで文章を書くことがほぼなかった私は、それがどのくらいの文量で、どのくらい時間がかかるものなのか、何もわからなかった。
だから、とにかく書こうとした。
けれど、これが一向に進まない。
キーボードは目の前にあって、カタカタ打たれることを静かに待っているのに、全く打つことができないのだ。
え、何を書けばいいの。
面白い文章ってなんだ?
読んでもらえるネタってなんだ?
考えれば考えるほど、手が固まっていくことがわかる。
やっとのことで2000字を書き終え時計を見ると、いつのまにか半日以上経っていた。
あぁ、書くのってこんなに難しいことだったのか。
私にはやっぱり少しハードルが高かったのかな、と思った。
けれども、それと同時に気持ちのいい達成感を感じた。
自分の中にあったモヤモヤが一つ残らず外に吐き出されたような爽快感に満たされたのだ。
文章として「カタチ」にすることって、こんなにすっきりすることなんだ、とじんわりと嬉しい気持ちが広がる。
なんか、いいかも。
もっとスッキリしたい。
もう少しがんばってみるか、と毎週2000字にチャレンジした。
書き切れる日もあれば、書ききれない日もあった。
それでも、パソコンの前に座ってとりあえず書くことにした。
たとえそれが2000字に満たなかったとしても。
すると次第に、少しずつ文章を書くことが楽しくなって、もっと面白い文章を書けるようになりたくなって、4ヶ月コースの講座だけでは物足りなくなっていた。
もっと書きたい。
もっとうまく書けるようになりたい。
身の程知らずではあるけれど、ほとんど勢いで、プロのライターを目指す「プロフェッショナルクラス」にすすんだ。
このクラスは5000字の記事が毎週課せられる。
2000字でさえ書けるときと書けないときがあるのに、5000字だなんて。
私にとっては、それは大きな大きな壁だった。
それを越えよう、越えようとしても、なかなかその壁を越えることができない。
クラスのみなさんが提出する記事を読んでは、毎週凹む。
私はなんで提出できないのだろう。
ただただ指をくわえて見ていることしかできないのだろう。
正直、もうやめてしまおうか、と思った。
けれど、ここで立ち止まって、少しみなさんの作品を読むことに徹してみた。
提出できない葛藤もあり、焦りもあったけれど、じっとしてみた。
きっと自分のなかで何かが変わるはず、と信じて、皆さんの作品を読んでは「ここがいい」「ここはもう少しこうした方がいい」と分析をすることにした。
みなさんの文章は、本当にプロのようで、いやプロよりも面白くて、いち読者として楽しんだ。
ただ、もうこの状態では、毎月の月謝がもったいない。
ここが潮時だ、もう終わりにしよう、と思っていた。
思っていたのに。
気づいたらまた3ヶ月のコースを継続していた。
負けず嫌いの血が黙っていられなかったのだ。
やっぱり、このままでは終わらせられない。なにも成果をだせていない。満足していない。
だから、続けてみた。
最初は、調子がよかった。
記事は提出できたし、なんとか「合格」をいただけてWEBに掲載していただくこともできた。
なのに。それなのに。
また立ち止まってしまっている。
どんどん上手になっていく仲間たち。
それに比べて、私は記事が書けない。
またしても、みんなに追いつけていけなくなって来ている。
どうしよう。
書かなきゃ。
そう思えば思うほど書けない。
でも、ちょっと待てよ。
私はいったい何を焦っているのだろう。
もともと書けなかったではないか。
そこからくれべたら、少しずつ書けるようになって来ているではないか、と。
頭の中での「理想像」がいつのまにか一人走りしてしまって、実力が置いていかれてしまっていた。
その「理想像」を一人で走らせていたのは、他でもないこの私だ。
勝手に焦って、「理想像」がどんどん大きくなっていって、それに追いつかないといってまた焦って。
完全に自分で自分を破滅させようとしていた、ということに気づいた。
もっとゆっくりでいいじゃないか。
少し前進して、立ち止まって、また少し進めめばいいじゃないか。
すぐにダイエットが成功しないように、文章を書くのもすぐにはうまくならない。
少しずつ、少しずつでいい。
あまり自分を追い詰めず、期待しすぎない。
私には、これが一番大事なことなのかもしれない。