怒りを覚えるとき
おとなげなく、怒ってしまった。
いや、ふてくされてしまった。
仕事をしていると、自分の思い通りにならないことは多い。
それは、分かっている。
わかっていても、苛立ってしまう。
そして、いつまでたっても、「子ども」な自分に飽きれてしまう。
仕事はいっぱいあって、目の前にある仕事をこなしながらも、プラスアルファの仕事をやれという上司からの目標設定。
乗り越えたら、それはなにか変われるのかもしれないし、そうしたい気持ちもなくはない。
けれど、私は仕事以外にもやりたいことがある。
友だちと会いたいし、ライティングもしたい。
ゆっくり読書をする時間だって欲しい。
だから、その「プラスアルファ」は見て見ぬふりをして、それはもはや確信犯的であり、「それでいい」と思っていた。
けれど、目標未達成、と自分の口で言わなければならないのが、悔しかった。
そして勝手だと分かっていながらも、それがどうしても、許せなくて。
自分がやらなかっただけなのに、目標設定が高すぎる、と言っては人を責めてしまう。
そうじゃない。
そうじゃないのだ。
目標が高いのは、期待の表れであり、それに応えるのがサラリーマンであり社会人。
それを放棄していたのは自分で、その代りに手に入れたものもあったはずだ。
だから、私のその「できなかった」ことではなく、その代わりに手に入れたモノはなんだったのか、を考えることにした。
仕事だけの人生にしたくない、そう決めたのは自分だから。
仕事で人に評価されなくても、自分がやりたいことをやりたいだけやって笑っていられる生活のほうが大事。
そういう価値観でいるのだから。
もちろん、お金をいただいているので、しっかり仕事はやるし、自分で決めた時間のなかで精一杯こなす。
考え方が甘い、と思われるかもしれない。
けれど、私はそうゆう生き方をするし、これからもしていく。
自分のことは責任を持って、できなかったことはできなかった、として受け入れる。
そこに苛立つのはおかしかった。
仕事の割り振り方、その量にたいする不満はある。
けれど、平等なんてありえない。
だから、そこにばかり目を向けるのではなくて、もっと違う「輝く」方向を見て生きていこう、と思う。
仕事は大事。
自分のポリシーも大事。
人の指標にばかり左右されないように、自分を強くもっていこう。