voicyって知ってますか?
今さらながら、twitterを活用しはじめました。
情報収集としてtwitterを使えるということを知らずにいたのですが、仕事でマーケティングをしている中でそんな使い方もあるんだ、ということを知ってリサーチがてら自分でも始めてみたのです。
結果、とても面白いと思いました。(いまさらー!笑)
テレビを見ながら、その反応をtwitterで追えるし、自分の感性が世間とはずれていないことを確認したり、共感したりと、たとえ一人でテレビを見ていても、近くに見えない仲間がいるようで楽しいのです。
と、そんなこんなでtwitterにはまっています。(もっぱら見る専門ですけど)
そして、どうゆうつながりでそれを知ったのかよくわからないのですが、とにかくいろんな人をフォローしまくっていたら、voicyというものに出会いました。
↓これ
アプリで楽しめる、ラジオです。
ですがこれって、芸能人がパーソナリティではなくって、ネットで活躍している人とかが話しているラジオです。
私がよく聞いているのは、はあちゅうさん、イケハヤさんの番組なのですが、これがそれぞれとても面白くて、勉強になるんです。
よっぽどテレビを見ているより、有意義な気さえします。
私は会社員としてお金を得て生活をしているのですが、経営者としてまたはブロガーとして活動している彼らの話はとても新鮮で、ハッと気づかされることがとても多いです。
とくに、イケハヤさんは高知県の限界集落で家族5人で暮らしているそうですが、年収1億円とのこと。
まさかそれを自分が目指しているわけではないのですが、彼の発想自体がとても面白くて、東京で消耗していていいんですか、っていう問いかけをずっとしています。
それは共感するところもあり、違うでしょって思うところもあり、それが簡単にできたらそうしたいよと思うところもあり。
いろんな感情を生み出してくれます。
それから、はあちゅうさんは、ファンからの人生相談への回答の爽快たることや、いとをかし。スパっと切りまくる回答は、こちらに活力を与えてくれます。
彼女の聡明なところ、そして軸がぶれないところは本当に素晴らしく、その話のわかりやすさにも感服しています。
これらを聞きながら通勤すると、なかなかいい感じの気持ちになれるので、最近はvoicyを聴きあさることが多いです。
私がいま、働き方に迷いがあるから心に刺さっているというところもあると思うのですが、フリーランスでの働き方や転職など、今後の働き方についてとても参考になります。
それに、知らない世界を知れたり、もします。
(はあちゅうさんは、ナンパ師や、インフルエンサー、アフリカ生活をする日本人にインタビューしてて、それがまた面白い!)
会社に頼らない生き方(フリーランスでライター)ができたらどんなにいいか、と思うのですが一方でやっていけるのだろうか、という不安もありますし、すぐには結論はでません。
または、子どもへの教育に携わりたいという気持ちもあり、これも捨てきれずにいます。
そうゆうやりがいのある仕事をしたいけれど収入が今よりも下がる、となるとどっちを選んだら幸せなのかよくわからなくなってしまうのです。
今はvoicyを聞いて「そんな考え方もあるんだな」「そんな生き方をしている人もいるんだな」とぼんやり思って、ぼんやり将来について考えている感じで、それが心地いいのでしばらくvoicyを聞いていようと思っています。
もし、少し違う世界や考え方をのぞいてみたい、という気持ちがあったら、ぜひ一回聞いてみてほしいです。
もちろん、無料。
聴くだけで少しだけ世界が広がったような感じがして、おもしろいですよ。
わたしのルーツ 有田編
覚えられない住所がある。
それは、免許証を作るときにしか書くことがない「本籍」の住所。
いやー、全然覚えられない。
佐賀県西浦郡だっけ?
有田町のあとも、「大樽」という地名が続くのだけれど、これもどうにもこうにも複雑すぎて書けない。(特に「樽」)
そして、番地も4桁で覚えられない。
だからといって困ったことはない。
一度、なにかの証書を取り寄せるために、有田町の役場に電話したくらいしか有田との接点もなかった。
しかし、本籍地に行ったことがないって、なんかさみしくないか?
そう思った。
唐津に行くのであれば、有田にも行けるはず。
ということで、行って来ました。
有田は、本籍地であり、祖父が生まれ育った町です。
手塚家は、もともと有田焼を売る貿易商をしていたそうです。
それで財を成し、銭貸をし、それが銀行へと発展していきました。
その銀行を作ったのが、私の曽祖父。
私の祖父の手塚隆次の、兄の文蔵さんはそれを受け継ぎ佐賀銀行の初代頭取となったそうです。
今まで知らなかったことばかりです。
これは、私が有田に行くことが決まってから父から聞いたことで、もし私が有田にいかなければもしかしたら、この話を聞くこともなかったかもしれません。
そして、有田には今も「手塚商店」があると聞いていました。
この商店は、祖父が生まれた家だそう。
まずはここに行くことを目標にしました。
カーナビの言う通りに車を走らせていると、急に「目的地付近です」と。
ええっ。ここなのか?
ちょっとわからないのでゆっくり走りながら、周囲を確認します。
すると、ありました!
なんとまぁ。
↓
こんな素敵なおうちが残っているなんて。
とても感動しました。
それから、近くに車に停めて、お店の中に入って見ました。
誰もいません。
誰もでてきません。
自分から「すいませーん」と声を出すような勇気もなく(小心者のため)、
拝見だけさせていただきました。
いやー、このハッピとか、もう。
いい味だしていて、出しすぎていて、うっかり「うわー。すげー」と言ってしまいそうなくらいでした。
それから他のお店にもおじゃまさせていただき、いろいろとお話を聞いてみました。
有田焼は、海外でも注目をされているらしいこと。
ろくろが上手なひとと、絵付けが上手なひと、それをすべてやる人といろんな作家がいること。
佐賀大学で、作家の養成をしていること。
ゴールデンウィークの陶器市の盛り上がり具合が、今年はとんでもなかったこと。
とにかく、時間をわすれていろいろお話を聞かせていただきました。
そうこうするうちに、佐賀空港に向かわなければならない時間になってしまいました。
佐賀空港まで1時間。
そうグーグル先生は言っているのに、カーナビは1時間40分と言っていまして、
後者が正しければ、完全に乗り遅れるという危機的状況に、一気に陥りました。
先ほどまでの「いい気分」はどこへやら。
結果、ギリギリ帰りの便には間に合いました。
いやー、最後はとても慌ただしかったですが、本当に有田はいいところでした。
もっともっとゆっくり見たかった。
そして、車を運転している中でたくさんの「いい風景」に出会いました。
もし可能だったら、車を止めてシャッターを切りたかったのにー、というタイミングが10回以上ありました。
たくさんお皿やら箸置きやら購入しましたが、次は陶器市にきたいなぁ。
有田焼、おすすめです!
陶山神社
わたしのルーツ 唐津編
唐津。
小さいころから、父から「お父さんが小さいころはね、からつに住んでただよ〜」とか「からつでは、家の裏がすぐ海で〜」とか「からつで飼ってたコロ(犬)がね〜」とか、よく聞いていた。
からつ? なにそれ、カラスの仲間? とか、
ぼんやり思っては、ふーん、と聞き流していた。
そこがどんなところなのか、まったく想像できなかったし、
興味もさしてなかったもんだから、調べたり、行ってみたい、なんて思ったこともなかった。
けれど、自分が働き始めるようになって、いつからかぼんやり「唐津ってどんなところなんだろ」と思うように。
いつかは、いきたい。
父とそうゆう話をしたくなったからかもしれないし、育ったところを見て何かを感じたいと思ったからかもしれない。
どんな理由であれ、唐津に行くことが小さな夢になっていった。
とはいえ、友達を誘っていくところでもない、というよりこちらから誘って、がっかりされてしまってはその友と合わす顔がなくなってしまう。
やはりここは、一人旅だ。
ひとり旅は、寂しいというのもあるけれど、その一方で自由だ。
いきなり気が変わっていく場所を変更したり、直前まで計画を立てなくったって誰にも迷惑をかけない。
気が変わりやすく、めんどくさがりなわたしは友だちと旅行するときにかなり気を遣って、それでもなお迷惑をかけるのだ。
わたしはあきらかに、ひとり旅向きの人間である。
とはいえ、なかなか行動にうつせずに数年が経ってしまっていたところ、
そのチャンスは、急に巡ってきた。
福岡出張が入ったのである。
こんないいチャンスみすみす見逃すわけにいかない。
ということで、木金の仕事を福岡で終えたあと、唐津にいくことに決めた。
ついでに、本籍地の有田にも。
会社の経費を有効活用して、自分のルーツを探れるなんて、こんないいことはない。
ということで、行ってきました、唐津。
博多から電車で、一時間くらい。
なんだ近いじゃないか。
そして電車も思っていたよりも人が乗っている。
どうやら、そこまで寂れた町ではないらしい。
夜にホテルについて、一晩を過ごし、翌朝からレンタカーで唐津をドライブすることにした。
まずは、「虹の松原」という日本三大松原と言われる景勝地へ。
↓こんな絶景が繰り広げらているらしい。
これはいかねば。
ということで、鏡山を車でくねくねしながら登り、山頂に行きました。
しかし、残念ながらこの日は大雨。
なんて日だ!
と叫びたい気分でしたが、雨でもとても綺麗でした。
気持ちのいい景色で、あーこれはぜひまた天気のいい日に来たい、と強く思いました。
次に、父の通った東唐津小学校に行ってみました。
ここで学んだのかぁ。
父・政夫は、ここでどんな子供時代を送ったのだろうか、きっと小ちゃくて可愛かったんだろうな、なんて思いながら車にふただび乗り込みました。
食べて見たかったんです。
ドキドキしながら待つと、イカが動いているではないですか!
そして、この動いているイカは、刺身を食べ終えるとふたたび台所に運ばれて、
唐揚げとして戻ってきたのです。
これが、まぁ、うまい!
とても美味しい。
柔らかくて、外はサクサクしていて。
塩で食べても、タレをつけて食べても、うまい。
そんなこんなで、父が育った唐津をあとにし、有田に向かったのです。
(つづく)
追伸:旅とかオススメを伝えるってのは、自分の考えを書くより、100倍難しいわー
じぶんのルーツ
じぶんのルーツ、知ってますか?
私は、知りません。
父が佐賀の唐津で育ったこと、母が鹿児島の市内で育ったこと、それ以外知りません。
とくに、佐賀は知りません。
物心つくころには父方の祖父母は福岡に住んでいましたし、佐賀には行ったことすらありませんでした。
4〜5年前でしょうか、たまたま仕事で佐賀に出張がはいったことがありましたが、そのときには残念ながら唐津には行けず。
そのときから、いつかは、と思っていました。
そして、なんと今、その唐津に私はいます。
とても不思議な気分です。
仕事のついでに足をのばしてみましたが、とてもそわそわしています。
そして、今回は、手塚家のルーツを探ります。
わたしの本籍は有田町なのですが、その有田でブラリ旅をする予定です。
まずは本籍地と、祖父が生まれた家がまだ残っているようですので、そこに行ってみたいと思います。
その名も、手塚商店。
なんと、ガイドブックに載ってました!
あしたは、あいにくの雨のようですが、手塚の祖先が生きてきた土地で、その空気を吸って、思いを馳せてみたいと思います。
わくわく!
JR唐津駅
これはなんでしょう?駅前にいらっしゃいました。
うちのお局さまが、機嫌が悪いんですけど
月曜の朝で、みんなまだスイッチが入っていない朝のこと。
うちのお局さま、どうやらご機嫌斜めのようなのです。
ま、月曜だしな、と意に介さずこう声をかけました。
「〇〇さん、おはようございます! 金曜はありがとうございました!」
金曜に外出先で粗相をしてしまったために、ご迷惑をおかけしてしまっていた私。
月曜朝一でそのフォローをしたわけです。
そしたら、
「あ、うん」
とお局さまからの軽めなお返事。
あれ? なんかおかしいぞ、もしかして怒ってるのか? いや、わたし言い方間違えたか? なんだなんだ?
頭の中で、ちょっとしたザワメキがおきました。
しかし、粗相はしたけれど、ご迷惑はおかけしたけれど、割と些細だったはずです。
少なくとも、機嫌に影響するほどではない。
とすると、なんだ?
いやー、しばし考えたけれども、解がみつかりません。
中学校の時に習った一次方程式も二次方程式も、公式に当てはめたら解は1つに絞り出せたけれども、人間関係はそう簡単には解けません。
と思ったら、なんだか私、めんどくさくなりました。
だって、答えが見つからないのだもの。
見つかったとしてもそれが正解かはわからない。
なので、放棄しました。
放置しました。
もしかしたら、お家で喧嘩をして出てきたかもしれないし、
電車で足踏まれたからかもしれないし、
給料日前でお金がつきそうで食べたいランチをコンビニで買えなかったからかもしれないし。
こちらにはその事情は分かりません。
そしたら、いつのまにかそのお局さま。
機嫌よくなっていました!!
いやー、こうゆうことって多いんです。
あの人の機嫌の悪さ、あの人からのラインの返信、自分のせいなのでは、と思ってしまうことって。
でもだいたいが自分とは関係ないところに理由があったりする。
たとえ、自分に理由があったとしても、それはそれでそうゆう付き合い方をするしかないし、自分では変えられないこと。
だから、そこに介入しすぎず、自分の時間を、もっというと自分の命をまっとうすることだけにエネルギーを注いでいれば、
それが一番幸せに繋がるんだろうな、と思ったわけです。
ほんと、いつもフラットに、そしてすこし距離を置いて、らくーに生きていくに限りますね。
よし、それではゆるっとまた仕事してきますかね!
33歳のお悩み
季節がかわったこともあるけれど、私には今、切実な悩みがある。
それは、何を着たらいいか分からない問題である。
春になってからほとんど買い物をしていないという理由もあるのだけれど、どうやら、私は確実に年をとっていて、鏡に映る自分は日に日に、みるみる老けていくことが原因らしい。
だからか、どんな服を着ても似合っていないように思えてしまう。
あぁ、たしか25〜6のころにも、こんなことがあったっけ。
大学時代に着ていた服は、どれもまだ着れる状態で、かつまだ飽きていない。
むしろ気に入っているものばかりだった。
なので社会人になっても、なんの疑問も持たずに着続けていたのだけれど、なんだか、言葉ではどうにも言い表せないモヤがもくもくと発生して、何かが違う、何かが違う、とどうも釈然としない。
あらためて鏡に映った自分を見ると、洋服と顔が、まったく明後日の方向を向いているような、調和されていないような違和感がある。
どうにもこうにもしょうがないので、それまでとは雰囲気の違う洋服を、少し大人なお店で買ったことを覚えている。
まさしく、それ。
まったく同じことが今、また起こっている。
理由は、まぎれもなく、わたしが33歳だからなのだ。
33歳になってしまったからに、違いない。
この違和感をもちながら、今までの服を着ることはもうできますまい。
あぁ、次のステージがきてしまった。
カジュアルが好き、だとかもう言ってられないのだな、うん、よくわかりました。
年相応、というのはやはり必要で、その流れに自らを合わせるしかありません。
はい。
ということで、そのお悩み。
なるべく早く解消するべく、新しい洋服たちを向かい入れたいと思います。
年齢に寄りそう、ってこうゆうことなんですかね。
寂しいような、楽しいような。
いや、これって楽しいことなんだ。
洋服との新しい出会いの季節がきたようです。
マニュアル依存
昔から、絵がヘタで、作文が苦手で、とにかくナニカをゼロからイチにすることが苦手だった。
自由が苦手というか。
はい、自由に絵を描いてください。
自由に文を書いてください。
こう言われると、とたんに不安になる。
教科書は?
ガイドラインは?
何が正しくて、どんなものを書けば先生は褒めてくれるの?
それが分からなくて、見放されたような不安と、丸腰で素っ裸になった自分を評価されるような恥ずかしさとがいつもあった。
だから、自分には向いていない、と決めて立ち入らないようにそこに鍵をかけていた。
一度鍵をかけてしまうと、なかなかそれは解かれることはなくて、わたし苦手なんで、と一言放って逃げることになる。
そうしていると、苦手は苦手なままで。
それは押入れに無理やり詰め込んだ荷物は、いつまでたっても詰め込まれたままなのと同じで。
わたしはいつまでたっても、まったくもって自由な発想をもつことができないでいる。
大人になったいまでもそれは変わらなくて、仕事でもなんでも、決められていること、今までどおりのことはできる。
けれど、どこかを変える、変えよう、と思うと及び腰になってしまう。
これを言ったら、筋違いって笑われるかな、とかありもしないことを考えては、また「いつもの通り」をやり続ける。
けれど、これでいいのだろうか、と思うようになった。
わたしはこのまま、マニュアル通り、教科書を片手に生きていていいのだろうか、と。
先輩の背中を追いかけるだけで、自分の道を作り出せていないのではないか、と。
ひいては、会社が敷いてくれるレールを歩くだけでいいのだろうか、と。
一度も転職することなく、12年。
一度も方向転換をしていない。
それはいいことでも、悪いことでもないけれど。
自分の道をちゃんとその手で作って、自分が楽しいと思える道を見つけていくことって、簡単なようでなかなか難しいということが、最近になってよく分かる。
だから、転職をして方向転換したひと、主婦になると決めた人、フリーランスで働く人、自分のお店を持っている人、経営している人、ってすごいなぁと心から思う。
ずっと、絵が自由に美しくかける人がうらやましくて、
文章を自由におもしろくかける人が羨ましかった。
それと同じように、自分の道をしっかり決めて、行動している人が今すごく羨ましい。
自分にその力がないのは分かっていても、なんかいいなぁって漠然と羨ましい。
自由に生きるって、マニュアルや教科書という世間体ではなく、自分に正直になれる、本当に自立した人だけができることなのかもしれないね。