わたしのルーツ 唐津編
唐津。
小さいころから、父から「お父さんが小さいころはね、からつに住んでただよ〜」とか「からつでは、家の裏がすぐ海で〜」とか「からつで飼ってたコロ(犬)がね〜」とか、よく聞いていた。
からつ? なにそれ、カラスの仲間? とか、
ぼんやり思っては、ふーん、と聞き流していた。
そこがどんなところなのか、まったく想像できなかったし、
興味もさしてなかったもんだから、調べたり、行ってみたい、なんて思ったこともなかった。
けれど、自分が働き始めるようになって、いつからかぼんやり「唐津ってどんなところなんだろ」と思うように。
いつかは、いきたい。
父とそうゆう話をしたくなったからかもしれないし、育ったところを見て何かを感じたいと思ったからかもしれない。
どんな理由であれ、唐津に行くことが小さな夢になっていった。
とはいえ、友達を誘っていくところでもない、というよりこちらから誘って、がっかりされてしまってはその友と合わす顔がなくなってしまう。
やはりここは、一人旅だ。
ひとり旅は、寂しいというのもあるけれど、その一方で自由だ。
いきなり気が変わっていく場所を変更したり、直前まで計画を立てなくったって誰にも迷惑をかけない。
気が変わりやすく、めんどくさがりなわたしは友だちと旅行するときにかなり気を遣って、それでもなお迷惑をかけるのだ。
わたしはあきらかに、ひとり旅向きの人間である。
とはいえ、なかなか行動にうつせずに数年が経ってしまっていたところ、
そのチャンスは、急に巡ってきた。
福岡出張が入ったのである。
こんないいチャンスみすみす見逃すわけにいかない。
ということで、木金の仕事を福岡で終えたあと、唐津にいくことに決めた。
ついでに、本籍地の有田にも。
会社の経費を有効活用して、自分のルーツを探れるなんて、こんないいことはない。
ということで、行ってきました、唐津。
博多から電車で、一時間くらい。
なんだ近いじゃないか。
そして電車も思っていたよりも人が乗っている。
どうやら、そこまで寂れた町ではないらしい。
夜にホテルについて、一晩を過ごし、翌朝からレンタカーで唐津をドライブすることにした。
まずは、「虹の松原」という日本三大松原と言われる景勝地へ。
↓こんな絶景が繰り広げらているらしい。
これはいかねば。
ということで、鏡山を車でくねくねしながら登り、山頂に行きました。
しかし、残念ながらこの日は大雨。
なんて日だ!
と叫びたい気分でしたが、雨でもとても綺麗でした。
気持ちのいい景色で、あーこれはぜひまた天気のいい日に来たい、と強く思いました。
次に、父の通った東唐津小学校に行ってみました。
ここで学んだのかぁ。
父・政夫は、ここでどんな子供時代を送ったのだろうか、きっと小ちゃくて可愛かったんだろうな、なんて思いながら車にふただび乗り込みました。
食べて見たかったんです。
ドキドキしながら待つと、イカが動いているではないですか!
そして、この動いているイカは、刺身を食べ終えるとふたたび台所に運ばれて、
唐揚げとして戻ってきたのです。
これが、まぁ、うまい!
とても美味しい。
柔らかくて、外はサクサクしていて。
塩で食べても、タレをつけて食べても、うまい。
そんなこんなで、父が育った唐津をあとにし、有田に向かったのです。
(つづく)
追伸:旅とかオススメを伝えるってのは、自分の考えを書くより、100倍難しいわー
じぶんのルーツ
じぶんのルーツ、知ってますか?
私は、知りません。
父が佐賀の唐津で育ったこと、母が鹿児島の市内で育ったこと、それ以外知りません。
とくに、佐賀は知りません。
物心つくころには父方の祖父母は福岡に住んでいましたし、佐賀には行ったことすらありませんでした。
4〜5年前でしょうか、たまたま仕事で佐賀に出張がはいったことがありましたが、そのときには残念ながら唐津には行けず。
そのときから、いつかは、と思っていました。
そして、なんと今、その唐津に私はいます。
とても不思議な気分です。
仕事のついでに足をのばしてみましたが、とてもそわそわしています。
そして、今回は、手塚家のルーツを探ります。
わたしの本籍は有田町なのですが、その有田でブラリ旅をする予定です。
まずは本籍地と、祖父が生まれた家がまだ残っているようですので、そこに行ってみたいと思います。
その名も、手塚商店。
なんと、ガイドブックに載ってました!
あしたは、あいにくの雨のようですが、手塚の祖先が生きてきた土地で、その空気を吸って、思いを馳せてみたいと思います。
わくわく!
JR唐津駅
これはなんでしょう?駅前にいらっしゃいました。
うちのお局さまが、機嫌が悪いんですけど
月曜の朝で、みんなまだスイッチが入っていない朝のこと。
うちのお局さま、どうやらご機嫌斜めのようなのです。
ま、月曜だしな、と意に介さずこう声をかけました。
「〇〇さん、おはようございます! 金曜はありがとうございました!」
金曜に外出先で粗相をしてしまったために、ご迷惑をおかけしてしまっていた私。
月曜朝一でそのフォローをしたわけです。
そしたら、
「あ、うん」
とお局さまからの軽めなお返事。
あれ? なんかおかしいぞ、もしかして怒ってるのか? いや、わたし言い方間違えたか? なんだなんだ?
頭の中で、ちょっとしたザワメキがおきました。
しかし、粗相はしたけれど、ご迷惑はおかけしたけれど、割と些細だったはずです。
少なくとも、機嫌に影響するほどではない。
とすると、なんだ?
いやー、しばし考えたけれども、解がみつかりません。
中学校の時に習った一次方程式も二次方程式も、公式に当てはめたら解は1つに絞り出せたけれども、人間関係はそう簡単には解けません。
と思ったら、なんだか私、めんどくさくなりました。
だって、答えが見つからないのだもの。
見つかったとしてもそれが正解かはわからない。
なので、放棄しました。
放置しました。
もしかしたら、お家で喧嘩をして出てきたかもしれないし、
電車で足踏まれたからかもしれないし、
給料日前でお金がつきそうで食べたいランチをコンビニで買えなかったからかもしれないし。
こちらにはその事情は分かりません。
そしたら、いつのまにかそのお局さま。
機嫌よくなっていました!!
いやー、こうゆうことって多いんです。
あの人の機嫌の悪さ、あの人からのラインの返信、自分のせいなのでは、と思ってしまうことって。
でもだいたいが自分とは関係ないところに理由があったりする。
たとえ、自分に理由があったとしても、それはそれでそうゆう付き合い方をするしかないし、自分では変えられないこと。
だから、そこに介入しすぎず、自分の時間を、もっというと自分の命をまっとうすることだけにエネルギーを注いでいれば、
それが一番幸せに繋がるんだろうな、と思ったわけです。
ほんと、いつもフラットに、そしてすこし距離を置いて、らくーに生きていくに限りますね。
よし、それではゆるっとまた仕事してきますかね!
33歳のお悩み
季節がかわったこともあるけれど、私には今、切実な悩みがある。
それは、何を着たらいいか分からない問題である。
春になってからほとんど買い物をしていないという理由もあるのだけれど、どうやら、私は確実に年をとっていて、鏡に映る自分は日に日に、みるみる老けていくことが原因らしい。
だからか、どんな服を着ても似合っていないように思えてしまう。
あぁ、たしか25〜6のころにも、こんなことがあったっけ。
大学時代に着ていた服は、どれもまだ着れる状態で、かつまだ飽きていない。
むしろ気に入っているものばかりだった。
なので社会人になっても、なんの疑問も持たずに着続けていたのだけれど、なんだか、言葉ではどうにも言い表せないモヤがもくもくと発生して、何かが違う、何かが違う、とどうも釈然としない。
あらためて鏡に映った自分を見ると、洋服と顔が、まったく明後日の方向を向いているような、調和されていないような違和感がある。
どうにもこうにもしょうがないので、それまでとは雰囲気の違う洋服を、少し大人なお店で買ったことを覚えている。
まさしく、それ。
まったく同じことが今、また起こっている。
理由は、まぎれもなく、わたしが33歳だからなのだ。
33歳になってしまったからに、違いない。
この違和感をもちながら、今までの服を着ることはもうできますまい。
あぁ、次のステージがきてしまった。
カジュアルが好き、だとかもう言ってられないのだな、うん、よくわかりました。
年相応、というのはやはり必要で、その流れに自らを合わせるしかありません。
はい。
ということで、そのお悩み。
なるべく早く解消するべく、新しい洋服たちを向かい入れたいと思います。
年齢に寄りそう、ってこうゆうことなんですかね。
寂しいような、楽しいような。
いや、これって楽しいことなんだ。
洋服との新しい出会いの季節がきたようです。
マニュアル依存
昔から、絵がヘタで、作文が苦手で、とにかくナニカをゼロからイチにすることが苦手だった。
自由が苦手というか。
はい、自由に絵を描いてください。
自由に文を書いてください。
こう言われると、とたんに不安になる。
教科書は?
ガイドラインは?
何が正しくて、どんなものを書けば先生は褒めてくれるの?
それが分からなくて、見放されたような不安と、丸腰で素っ裸になった自分を評価されるような恥ずかしさとがいつもあった。
だから、自分には向いていない、と決めて立ち入らないようにそこに鍵をかけていた。
一度鍵をかけてしまうと、なかなかそれは解かれることはなくて、わたし苦手なんで、と一言放って逃げることになる。
そうしていると、苦手は苦手なままで。
それは押入れに無理やり詰め込んだ荷物は、いつまでたっても詰め込まれたままなのと同じで。
わたしはいつまでたっても、まったくもって自由な発想をもつことができないでいる。
大人になったいまでもそれは変わらなくて、仕事でもなんでも、決められていること、今までどおりのことはできる。
けれど、どこかを変える、変えよう、と思うと及び腰になってしまう。
これを言ったら、筋違いって笑われるかな、とかありもしないことを考えては、また「いつもの通り」をやり続ける。
けれど、これでいいのだろうか、と思うようになった。
わたしはこのまま、マニュアル通り、教科書を片手に生きていていいのだろうか、と。
先輩の背中を追いかけるだけで、自分の道を作り出せていないのではないか、と。
ひいては、会社が敷いてくれるレールを歩くだけでいいのだろうか、と。
一度も転職することなく、12年。
一度も方向転換をしていない。
それはいいことでも、悪いことでもないけれど。
自分の道をちゃんとその手で作って、自分が楽しいと思える道を見つけていくことって、簡単なようでなかなか難しいということが、最近になってよく分かる。
だから、転職をして方向転換したひと、主婦になると決めた人、フリーランスで働く人、自分のお店を持っている人、経営している人、ってすごいなぁと心から思う。
ずっと、絵が自由に美しくかける人がうらやましくて、
文章を自由におもしろくかける人が羨ましかった。
それと同じように、自分の道をしっかり決めて、行動している人が今すごく羨ましい。
自分にその力がないのは分かっていても、なんかいいなぁって漠然と羨ましい。
自由に生きるって、マニュアルや教科書という世間体ではなく、自分に正直になれる、本当に自立した人だけができることなのかもしれないね。
新社会人に告ぐ
4月になると、電車やホームには真新しいスーツを着った若者たちが、ひとかたまりになっていて、そこだけピンク色のような黄色のような、とにかく明るい空気があって、その他のひとたちとは明らかに違って楽しそうしている。
そんな光景をみるたびに、12年前の新入社員だった自分を思い出す。
あー、私もあんなふうに浮き足立ってたのかなー、あんなに風に仲間とキラキラしてたんだったっけなー、とか漠然と思う。
けど、まてよ。
違う、そうじゃない。
私は、あんなふうにキャーキャー言って笑ったり、つるんだりしなかった。
一緒に通勤したり、どこかで待ち合わせてお茶をしたり、してなかった。
頭の中のどこを探しても、かき分けて探しても、どうしたって見つからない。
なぜなら、私は「同期」とつるむことを異様に嫌っていたのだ。
そのときの私は、かたくなに、そしてあからさまに同期との付き合いを避けていた。
まるで、犬嫌いな人が、犬に好かれて、逃げ回っているかのように。
研修が定時の17時15分きっかりに終わった途端、誰かが言い出す。
「今日も、だんらん(近くの居酒屋の名前)ねー!」
「いこー!」
60人超いる同期が、思い思いに研修会場を出て、そのまま居酒屋に直行する。
ほぼ毎日、だ。
私は家が遠いことを理由に、そろそろと誰にも気づかれないように帰ろうとする。
でも、決まって気づかれてしまう。
「あれー! 帰っちゃうのー? いこうよー!」
人懐っこい同期は、何度断ってもめげずに何度も何度も誘ってくれる。
気持ちは嬉しい。
けれど、私は同期に味方はいらないのだ。
私の味方は、中学や高校や大学の友達だけであって、それだけで大丈夫。
それだけでお腹がいっぱい。
だから、いらない。
仲良くしたいなんて、これっぽっちも思わない。
社会人になってから、友達なんて作れるわけがないと思っていたし、作ろうとも思わなかった。
そもそも私は、大人数が苦手なのだ。
仕事だって、したくてしているわけではない。
付き合っている彼氏と3年くらいしたらきっと結婚するし、そしたら辞めるし。
だから、仲良くする必要なんてない、なんて思っていた。
なのに、気づいたら、もう12年経ってしまった。
3年したら辞めると言っていた私は、その4倍も長くこの会社にいる。
想定外。
本当に想定外、としかいいようがない。
それに、仲間なんて作らない?
そんなこと、今は口が裂けても言えない。
「今日さー、課長がまたくだらないことで怒ってさー、ほんとやんなるわー」
「隣の先輩が、朝っぱらから自席で爪切りしてるんだけど、ふっと横見たら今度は耳かきしてんの! 家でしろよだよなー?(笑)」
毎日、ランチで、ラインで、イライラしたこと、面白かったこと、悔しかったこと、どんなに小さなことでも共有して、そうしていることで平静を保っていられている。
こんな風に仕事を続けてこれるなんて、思ってなかった。
たぶん、この仲間がいなかったら、私の愚痴を聞いてくれて笑ってくれる、この仲間がいなかったらきっと、私はとっくのとうに会社を辞めていた。
辞めたい、辞めよう、と思うことがなかったわけではない。
いや、むしろたくさんあった。
けれど、私はこの仲間との交流がなくなってしまうのが、怖くて、手放したくなくて、辞められなかった。
そんな仲間ができるなんて、思ってもみなかった。
もちろん、今でも辞めたいと思うことはある。
というか、いまも現在進行形で辞めたいと思っている。
けれども、いつも頭の隅にいて、手を離さないでいてくれているのは、この会社の同期であり後輩であり、先輩だ。
だから、駅やホームでキャーキャーしている新入社員を見ていて、思うのだ。
「細く、長く、その仲間を大事にしてほしいな」と。
たとえ会社を辞めたとしても、勤務地が離れ離れになったとしても、また会えば笑いあえるような仲間を作って欲しい。
そう思う。
これから、いろんなことがあるだろう。
辛いこと、悔しいこと、自分の無力さにつまずきそうになることなんて、たくさんあるはずだ。
けれど、そこで支えてくれる、そして支えたいと思える仲間に、そして時にライバルと思える仲間を大切にしてれば、きっと、きっと社会人生活はいいものになるだろう。
がんばれ、新社会人!
そして、がんばろう、わたしたち中堅社員!笑
仙台にいったときの食べたものの話
こないだ、仙台に旅行に行ったときのこと。
旅行といえば食事、なわたしなので、当然限られた2日でなにを食べるのかというのは、どんな洋服を着るかより、どんな観光名所をめぐるかより大事な、一大イベントなのです。
なので旅行前の計画では、なにを食べるのか、が焦点になりました。
仙台といえば、牛タン。
これは誰もが知っていることです。
当たり前のように組み込まれます。
それから、牡蠣。
これも海辺だということ、牡蠣で有名な松島に行くということから、これも必然です。
それからそれから、ずんだも食べたい。
ずんだ、というのは枝豆をすりつぶした、あんこが大豆だとしたら、その枝豆版です。
いやー、当然食べるよね。
ということで、こちらもランクイン。
まあ、こちらはどちらかというと、食べられなかったらお土産だねー、なんて話してました。
(お土産は、かの有名な「萩の月」が我がもの顔でお土産リストに名を連ねますから、ここでも自分のなかで熾烈な争いが発生することがかるーく想像できます)
そして、仙台入りしてからというもの、順調に、牛タン、牡蠣、をたいらげます。
本当に美味しかった。
牛タンは、肉厚で、なのにすぐに口の中でなくなってしまうし、タレもご飯がすすむあの味で、もうたまりません。
牡蠣は、焼いたものと、ごはんに混ぜたものと、お吸い物のなかにはいったものをいただきましたが、どれも海の不思議を感じさせるくらい美味しくて。
潮って、海って、ありがたい、と思いました。
いやー、どれもほんとうに美味しい。
そして、すこし優先順位がさがっていた、ずんだ、です。
こちら、はまりました。
みごとにはまってしまいました。
ずんだ餅、お餅とほどよく甘く、枝豆の粒々を感じさせるずんだが、絶妙です。
これに味をしめたわたしは、そのあと、ずんだたい焼き、ずんだシェイク、と続きます。
だれだ、お土産でもいいねー、なんて言ってたのは!
ずんだに取り憑かれたように食べまくりました。
もしかしたら、今回の旅でいちばん、ずんだの満足度が高かったかもしれない。
もちろん、お土産としても買って帰りましたし、もっというと新幹線のなかでも、ずんだ
たべました。
もうここまでくると、ずんだおばけです。
あー、ずんだ、ずんだ、ずんだ、
また食べたいなぁ。
(おまけ)
牛タン。並びました。やっぱり人気です。
牡蠣定食。牡蠣ごはんが大好き。
これだけ、ずんだについて語ったのに、ずんだを前にすると食べることに夢中で、写真が一枚もありません。
ずーん、だ。