打ち合わせ中に、突然の告白
打ち合わせは、10分で終わった。
たしかに、10分だった。
思いの外、スッと終わって爽快だったし、私は自分のフロアにすぐにでも帰りたかった。
なぜなら、仕事がたんまりたまっていたから。
仕事は1秒でも早く終わらせたい。
早くやらないと。
今日は高校の友達との会合が夜に控えているのだ。
それまでに、やならきゃいけないことが、たんまりある。
けれど、その相手は「最近どう?」という、「聞かれて困る質問ランキング」3位になるであろう質問をしてきた。
はぁ。そう言われましても。
相手がどんなジャンルの、どんな答えを期待しているのか全くわからない。
とりあえず「最近忙しいんだ〜」と、少しでも早く戻りたいオーラを醸してみた。
けれど、相手はそれを意に解することなぞまったくなく、「そうだよね〜」と同調。
うん、そこは同調ではなくて、「じゃあ、また。この件、お願いします」でいいんだけどな。
作戦失敗。
そこから、話はお互いの色恋の話になった。
といっても、彼は奥さんも子供もいる「妻帯者」。
独身の私とは、身分が違う。
けれど、私を置き去りにして、彼の話はどんどんと進んでいく。
電車に乗って小さくなっていく彼の姿を、ホームに取り残されて見送っているような気分だ。
そんな私の心情など気づくはずもない様子を認めて、呆然としていると、突然告白された。
それが「好きです」とかならまだいい。
そうではない。
それも、昼下がりのオフィスには全くをもって、につかわしくない話。
彼は急にだまりこんで、こう言った。
「……俺さ、実はレスなんだよね」
へ? レス??
「それがさ、深刻で。本当に日々悩んでるんだよ。どうしたらいいと思う?」と。
いやいや、待て待て待て。
そんな話をされる、30代独身女性の気持ちを考えてみよ。
それ、めちゃくちゃ、答えにくいですから。
というか、どう答えたらいいんだよ。
私一応、「女」なんですけど。
ツッコミどころが満載すぎて、グゥの音もでません。
たしかに、だまって話を聞いているととても深刻なのだ。
奥さんは、子供を産んでから、まったくの拒否を決め込んでいるらしい。
かれこれもう2年半になるという。
彼も33歳。
それは、さぞ辛かろう。
私は男ではないので、本当の辛さをわかってあげられないのだが、きっと大好きなクリームパンが一ヶ月食べられないのと同じくらいだろうか。
それとも、一ヶ月なにがあっても「笑う」ことを禁じられたくらいの辛さだろうか。
どれもこれも想像することが難しいけれど、きっとそれくらい、いやそれ以上に辛いことなのだろう。
それを、彼の苦い表情は如実に物語っていた。
どうやら、それはそれは真剣に、誠実に、悩んでいるようなのだ。
「俺さ、だから、嫁に相談したんだよ」
「え、なんて言ったの?」
「もう、我慢できないから、誰かと一晩すごしてもいいなかな?、って」
は?
正気か。
呆れてモノが言えない。
辛さはわかるけれど、それを言って許されるとでも思ったのだろうか。
アホすぎる。
もうよくわからなくなって、どの立場だよと自分で自分にツッコミながらも、その「嫁」の代わりに説教をした。
それだけはいけないよ、と。
子供がいるんだからね、と。
果たして私の言葉は、彼の心の中心にきちんと届いただろうか。
欲望に溺れて、本当の幸せを見失わないようにしてもらいたいものだ。
「男の欲望」、本当におそるべし。
そんなことを感じた、昼下がりの打ち合わせ。
まったく、なんの相談に乗ってるんだ、私は。
白くま
私は、白くまが好きだ。
あの、「ふわふわ」した感じとかたまらない。
たまに見せる可愛いところとか、もう悶絶してしまう。
この季節は、やっぱり白くまが恋しくなる。
そう、鹿児島名産のかき氷「白くま」が。
今では、全国区となっていて、もしかしたら知っている人も多いのではないだろうか。
ふわふわの透明なかき氷の上に、みかんとかさくらんぼとかが乗っているあの「白くま」。
煉乳がたーっぷりかけられていて、甘くて、冷たくて、思わずほっぺに手を当ててしまうほど口のなかがひんやりするあの「白くま」。
かき氷のうえにみかん、ってなんて可愛いんだろう。
まるで、キティちゃんの赤いリボンのように、可愛い。(ちょっと分かりにくい? でもさ、キティちゃんからリボンをとったら可愛いのかな?)
そんな、誰からも愛される「白くま」。
その誰からも愛されていることが、嬉しいようでいて、実はちょっとさみしい。
というのも、私の母は鹿児島出身で、母方の親戚が暑くなる時期になると毎年、白くまの詰め合わせを送ってくれていたのだ。
それはもう、おっきな箱にたくさん入っていて、クリスマスのプレゼントが夏にきたかのような喜びだった。
白くまが大好きで(一番下のシャリシャリのところは除く、あれ苦手)いつも送られてくるのを心待ちにしていた。
毎年食べている白くま。
それが、いつのまにかコンビニでも売られるようになって、いつでも食べられることに喜びを感じる反面、どこか寂しいのだ。
それは、下積み時代から応援していたアイドルが、テレビで毎日見られるようになったことのように。
それは、あまり目立たない子とめちゃくちゃ仲良くなったのに、いつのまにかその子がクラスの人気者になったように。
他の人はあまり知らないという優越感というか、独占欲が、いつの間にか満たされなくなってしまい、かつ、自分の手の届かない存在になっていくような寂しさ。
嬉しいような、寂しいような、というのはこうゆう感情を言うのだろうか。
だからといって、私の「白くま」好きは変わらない。
たとえ全国区になろうとも、この数十年の愛は消えまい。(どうでもいいと思いますが)
夏になると思い出す「遥かな尾瀬」、ではなく、思い出すのは「白くま」。
ああ、今年もそろそろ食べたい。
というか、どうせならば鹿児島で、天文館で、食べたい。
いま、そんな気持ちでいっぱい。
夏です
去年より暑いんじゃないかなぁ、ってくらい汗がドワっと出てくる今日このごろ。
それなのに、帰りみちすがら、歩く練習をしています。
だいたい1時間くらいでしょうか。
気分が乗ったら有楽町まで歩いちゃってます。
というのも、10年勤続のご褒美としてリフレッシュ休暇というのがいただけるのですが、
それを利用して9月に東南アジアでバックパッカー的に旅行をする予定なのです。
日ごろ、歩かない。
暑いところ、いかない。
重いリュック、背負わない。
そんな、温室(クーラー効いてるから冷室?)生活をしているので、そんな身体で旅行に行ったらおそらく到着したその日にバテるだろう、そう思ったからです。
汗だくになってみるのもいいものだなぁ、と遠い目をしながら思っています。
自分から逃げることはやめることにした
私は、自分と向き合うことが、苦手だ。
できることなら、逃げたい。
自分から、逃げ出してしまいたい。
「もう一度!」
目の前には、「半紙」とよばれる書道用の紙がふわりと置いてあって、右手には墨汁でヒタヒタになった大筆。
すずりに入った墨汁が、鼻をツンと刺激する。
いや、このすずりからだけではない。
この臭いはもうすでにこの部屋のありとあらゆるものに、染み付いてしまっているように思える。
あぁ、臭い……。
私は、昔からこの臭いが嫌いで嫌いで、仕方がなかった。
「筆持ったら、書く!」
無機質な言葉が、ふたたび響くと、ついさっきまでおとなしかった正座した足が、モザイクをかけられたかのようにムズムズしてきた。
帰りたい。
早く帰って、小学校の友だちとスーファミやりたい。
けれど、ここで筆を置くわけにはいかない。
半紙に筆が落とされるのを、今か、と鋭い目線が見張っているのだ。
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生ってやっぱりいい
「生」といっても、ビールではありません。刺身でもありません。
演劇のことです。
演劇は、今まであまり縁がなかったのですが、ひょんな思いつきで演劇を見に行ってきました。
それで、見終わった後におもったのが、「やっぱり生は違うなー」というものでした。
劇を見る5時間くらい前に映画を見ていたから、なおさら、生はいいなーと思ったのかもしれません。
(映画は「パイレーツオブカリビアン」を見ましたが、これもよかった。これはまたの機会に書きます)
さて、その演劇なのですが、まず、舞台との距離が近いのが一番の特長です。
肉眼でちゃんと見えるのですよね。
だから、大好きな俳優さんが出ていたりすると、それはそれは興奮します。
(以前、向井理の舞台を見に行ったときは、とても感激しました!)
それに、セリフを間違えたり、アドリブで笑わせてくれたりするんです。
「予定調和」でないところが、いいなー、と。
創られすぎたもの、って人の心にあまり響かないもので。
それは、エレベーターガールの「ありがとうございます」だったり、ショップ店員の「いらっしゃいませー」だったり。
全然心に響かないんですね。
だから、つくられすぎていない、というか少し流動性がある「生」の演劇というのは、
どことなく不安定さがあって、固唾を飲んで見守ってしまう。
実は、昨日、その劇を見始めたときは、なかなか入り込めずにいました。
見ながらも、他のことを考えてしまったり、あきらかに気が散っていました。
正直いうと、早く家に帰りたかった。笑
けれど、後半に入ると、ぐいぐい、ぐいぐい、引き込まれていき、それは気持ちだけでなく身体までもが前のめりになるくらいだったのです。
隣に座っているおばちゃんも、大胆に鼻をすすって泣いていましたし、その隣の女性も同じように泣いていました。
もちろん、私も。
悲しいわけでもないのに、泣くのは久しぶりでした。
まさか、こんなに泣くとは思わなかった。
これが、映画だったら、きっと泣いてなかったと思います。
舞台のうえの俳優さんたちの、気持ちがこちらに伝染してきて、そしてとなりに座るひともそのとなりの人も、感動しているのがどこかで伝わってくるからかもしれません。
いやー、こんなにも、感動できると思っていなかった。
これがね、とてもいい話なんです。
「○○くんと目があったー」とか「ラインがきたー」とか、ワーキャー騒いでいるような恋愛も楽しい。
けれど、この劇をみて、付き合ってるとかそうじゃないとか関係なく、もっと深いところで相手を思いやっている、こうゆうのが本当の「愛」というのだな、と思いました。
なにか、あったかいものを心の底で感じたい人に、とてもおすすめです。
おススメした演劇:「スロウハイツの神様」(劇団・キャラメルボックス)
ピアノ欲がムクムクしてきやした
はじめて恩田陸さんの作品を読んでますが、ほんとに読むのが止まらない。
この小説は、ピアノ国際コンクールの話です。
私は小さいころからピアノをやっていました。
コンクールにも何度か出させてもらっています。
(県のコンクールなので、レベルは全然違いますが。笑)
コンクールには出ていたけれど、音大を目指していたけれど、わたしはその頃ピアノがすさまじく嫌いでした。
1人で練習しなければならないこと、自分ととことんむきわなければならないこと、友だちとの遊ぶ時間が少ないことが、本当に嫌で嫌で嫌で、しょうがなかったんです。
もっと遊びたかった。
もっと部活をやりたかった。
もっと、もっと。
普通の中学生活を送りたかった。
だからピアノが好きではありませんでした。
とにかく、「やることになってしまっている」から、ただやっていた。
もちろん、気持ちは入りません。
心から楽しめません。
ただ、練習すればするほど、指だけが早く動くようになって、技術だけがついていく。
それだけで、みんなが「すごいね」って言ってくれる
ただ、それだけで満足してました。
けれど、音楽の本質はそうじゃない。
どんな楽器でもそうだと思うのですが、美しく思う気持ちや楽しむ気持ち、それと技巧があわさってはじめて素敵な音楽を奏でることはできる。
だから、わたしのように気持ちがなく、ただ鍵盤をたたいてるということは、
女優がセリフはちゃんと言えているけど、まったく感情がこもってないのとまったく一緒。
そんなの見てる側にはグッとこない。
視聴率は上がらない。
だから、わたしはいつも先生に、恵さんのピアノはスポーツみたいな音楽ね(要は指は早く動くし、的確だけど、無機質)と言われていました。
そりゃそうです。あたりまえです。
弾いている本人が心から美しいと思ってないのだから。楽しいとおもってないのだから。
そりゃ、聞いている側に何も伝わりません。
でも、今だったらちょっとちがうのでは、とこの本を読んで思ってしまったのです。
今だったら、きっとモーツァルトだってベートーベンだって、ショパンだって愛でることができるのではないか、もっと綺麗な音楽を奏でることができるのでは、と。
完全にこの本を読んで、勝手な錯覚を起こしてしまいました。
とんだ勘違い野郎です。
もう何年も、弾いていないくせに何言っちゃってるんだ、と自分でも呆れてしまいます。
けれど、それが本心なのです。
少し考えてみたら、この気持ちって、ピアノの発表会で1つ上のトモヨちゃんの演奏を聴いた時と同じなんです。
私もあんな風に弾けるようになりたい、次の発表会では私の方がうまく弾けるはずだもん、って思ったあの気持ちと。
とすると、わたしはこの登場人物たちに嫉妬しているかもしれない。
なんだよ、気持ちよさそうに弾きやがって、と嫉妬しているようなのです。
本の中の人に嫉妬しているなんて、わたしは本当にどうかしちゃってるのかもしれません。
けれども、恩田陸は、わたしをそうゆう気持ちにさせてきます。
あのころの、コンクールのステージでの緊張をもう一回味わいたい、と思わせてきます。
はぁ、もう、これはやばいです。
実家に帰ったら、きっとすぐにピアノの前に座っていることでしょう。
この、コンクールの行方が気になりすぎて、早く先に物語を進めたくて、ランチも1人で食べたい衝動に駆られています。
あぁ、明日はひとりでこっそり抜け出そうかしら、とニヤニヤしながら、これからまた物語の世界に戻ります。
それでは、いってきます。
紹介した本
入れなければ、出ない。出なければ、入らない。
呼吸は、吸って、吐く。
ご飯は、食べて、排泄する。
髪の毛は、抜けて、生える。
どちらかが止まると、その循環はうまく回らない。
息吸わなければ吐けないし、吐かなければ吸えない。
同じことが頭のなかにも言えると思うのです。
インプットしなければ、アウトプットできないし、
アウトプットしなければ、インプットできない。
そんな風にできているんだと思います。
今、私は圧倒的にインプットが足りない。
頭が悪いので、思い出も出来事もすぐ忘れてしまう。
頭の中にストックがないのなら、インプットしないと記事を書くことができない。
その極度のインプット不足を痛感している、今日この頃です。
毎週5000字の記事提出の締め切りが、土曜23:59。
残念ながら、今日はもう提出が難しそうです。
書いては見たけれど、全然面白くない。
まだまだ、です。
現在、3ヶ月講座を1度修了し、今その2期目を受講中です。
先期は、提出できたのが12回中、たったの3回。
今期は、毎週絶対提出しよう、と決めていたのに。
なのに提出できない。
今、4回中、2回の提出です。
少しは成長していると、褒めつつも、
来週からは、毎週提出します。
絶対に。
下手でも、面白なくてもいいから、とにかく提出する。
ダメ出しされることが怖いからって提出しないのは、もうやめよう。
逃げるのは、もうやめよう。
今日は、そんな、宣言でした。
(ひとりごと)