白くま
私は、白くまが好きだ。
あの、「ふわふわ」した感じとかたまらない。
たまに見せる可愛いところとか、もう悶絶してしまう。
この季節は、やっぱり白くまが恋しくなる。
そう、鹿児島名産のかき氷「白くま」が。
今では、全国区となっていて、もしかしたら知っている人も多いのではないだろうか。
ふわふわの透明なかき氷の上に、みかんとかさくらんぼとかが乗っているあの「白くま」。
煉乳がたーっぷりかけられていて、甘くて、冷たくて、思わずほっぺに手を当ててしまうほど口のなかがひんやりするあの「白くま」。
かき氷のうえにみかん、ってなんて可愛いんだろう。
まるで、キティちゃんの赤いリボンのように、可愛い。(ちょっと分かりにくい? でもさ、キティちゃんからリボンをとったら可愛いのかな?)
そんな、誰からも愛される「白くま」。
その誰からも愛されていることが、嬉しいようでいて、実はちょっとさみしい。
というのも、私の母は鹿児島出身で、母方の親戚が暑くなる時期になると毎年、白くまの詰め合わせを送ってくれていたのだ。
それはもう、おっきな箱にたくさん入っていて、クリスマスのプレゼントが夏にきたかのような喜びだった。
白くまが大好きで(一番下のシャリシャリのところは除く、あれ苦手)いつも送られてくるのを心待ちにしていた。
毎年食べている白くま。
それが、いつのまにかコンビニでも売られるようになって、いつでも食べられることに喜びを感じる反面、どこか寂しいのだ。
それは、下積み時代から応援していたアイドルが、テレビで毎日見られるようになったことのように。
それは、あまり目立たない子とめちゃくちゃ仲良くなったのに、いつのまにかその子がクラスの人気者になったように。
他の人はあまり知らないという優越感というか、独占欲が、いつの間にか満たされなくなってしまい、かつ、自分の手の届かない存在になっていくような寂しさ。
嬉しいような、寂しいような、というのはこうゆう感情を言うのだろうか。
だからといって、私の「白くま」好きは変わらない。
たとえ全国区になろうとも、この数十年の愛は消えまい。(どうでもいいと思いますが)
夏になると思い出す「遥かな尾瀬」、ではなく、思い出すのは「白くま」。
ああ、今年もそろそろ食べたい。
というか、どうせならば鹿児島で、天文館で、食べたい。
いま、そんな気持ちでいっぱい。