てじーの日記

ていねいなくらしのために、ゆらゆら書きます。

東南アジアにいったら、少し考えがかわったこと

今まで、旅行ってめんどくさいなーって思っていた。

いや、世間一般的な人たちと同じように、私だって旅行は好きだ。

むしろ大好きだ。

今までも、国内外問わず、人並みくらいには旅行している。

美味しい食べものは食べられるし、自然を身体全体で堪能してリフレッシュできるし、そしてなによりも日常生活から解き放たれた自由を手にする瞬間は、たまらない。

旅行は、いつもの生活では味わえない快感を得られるのだ。

だからか気づいたら、「旅行いきたいなー」ってうわ言のように言っていることも多い。

それでも、それなのに、私は内心ではめんどくさいって思っていた。

 

行きたいといいながらも、めんどくさいと思う。

それは、高校生が大学行きたいと言いながら、まったく受験勉強をしたくないのと同じ原理で。

欲望はあるのだけれど、自分への負担が大きいことはできるだけやりたくない。

受験勉強が心底いやになって途中で受験を諦め、指定校推薦をもらって大学に入学した経験をもつ私は、いつまでもそのスタンスが変えられない。

旅行に行きたいのはやまやまで、けれども選ばないといけないこと、決めないといけないことがたくさんあるのが、とてつもなく、めんどくさい。

どこにいくのか。

どうやっていくのか。

何を着るのか。

何を持って行くのか。

予約はどうやってするのか。

考えなきゃいけないことがたくさんある。

面倒臭がりのグータラな私には、負担が大きい。

友達が全部決めてくれることだってあるけれど、それも申し訳ない気持ちになって、どう挽回しようかとウヨウヨ考えて、けれど結局自分にできることなんて何もなくて、むしろ迷惑をかけてしまう。

そんなことも多い。

けれど、それでもなお、いつだって旅行に行ってよかったって最後には思うのだ。

「めんどくさい」から始まって、「行ってよかった」「楽しかった」で終わる。

今回の旅、シンガポール-マレーシア(ペナン島ランカウイ島)-タイの旅も、本当に楽しかった。

人が暖かく、食べ物も美味しく、トラブルは少しあったけれど、一緒にいった仲間が優しく助けてくれ、笑っていない時がないくらい和やかで、健康が少し損なわれた時もあったけれど、それも仲間に助けられた。

もしかしたら、なによりも仲間のことをより好きになれたことがこの旅の一番の収穫なのかもしれない。

 

そして、今また次の旅を計画しているのだが、なぜだか以前のように、めんどくさい、とは思わなくなっていた。

時間があればもっともっと旅行に行くべきだ、といつのまにか考えが変わったようだった。

東南アジアが楽しかった、が、準備のめんどくささよりもだんぜん上回って、それが次の旅行への原動力になっているようだった。

きっと旅行は楽しいだけではなく、他にも得るものがあることに気づいたからかもしれない。

自分の考えやモノの見方が少しだけ変わる瞬間に出会える。

日本以外の国のことに興味を持つきっかけをもつことができる。

日本のことがより好きになれる。

計画を立ててしっかり準備した分、「楽しい」リターンが大きい。

などなど。

今回の旅をきっかけに、もしかしたらこれからは、「計画立てて準備するのが楽しい」から始まって、「行ってよかった。楽しかった」で終わることができるかもしれない。

と、ちょっとだけ期待している。

 

ということで、少しずつゆるゆると旅日記を書いていきたいと思います。

 

 

 

時間がすぎていくー

ぼーっとしているといつのまにか時間がたってしまう。

忘れないうちに、

旅行の話、書きます!

イラつかせる人は、大切なことを気づかせてくれるってほんと?

彼は「ふぅっ」とゆっくり一つ、ため息をついた。

これまで彼の大きな瞳を、どれだけの時間見てきただろう。

私と彼は、いつもと同じように向かい合って座っている。

周りには人がたくさんいて、けれど私たちはそんなことにかまうことなく、私たちだけの世界にいた。

まるで周りにだれもいないかのように、目と目を見合って、それはもう誰をも寄せ付けない空気を醸し出していただろう。

きっと私たちの声は聞こえている。

けれど誰ひとりとして、それを聞いていない風を装って座っている。

まるで、駅の改札でカップルがいちゃついているのを、見て見ぬふりをするかのように。

そんな風に、誰もがしれっと下を向いているけれど、耳をそばだてて聞いているのだ。

あぁ、なんてはずかしいのだろう。

そう、だって私たちは、互いにまったく分かり合えていないのだから。

大きな声で、それはフロア中に響き渡る声で、自分の意見を相手になりふりかまわずブツけている。

あぁ、もういやだ。

早くここから抜け出したい。

この人の前にいるときは、いつだって逃げ出したい気持ちにかられる。

向かいあって座っているのは、私の上司。

人の気持ちを逆なでするのがとても得意で、相手の気持ちを汲むことなんてない。

そんな上司。

イラっとさせる人とは、なるべく一瞬たりとも同じ空間にいたくない。

そう思ってしまう。

けれど、他人は自分の鏡という。

その「他人」とは、自分以外の人という意味で、それに例外はないらしい。

というと、この上司も私の鏡なのだろうか。

え、絶対違う。

そんなの信じたくない。

けれど、イラっとさせる人には、どうしてその人にイラっとするのか。

その人になんて言ってやりたいのか。

それこそが、自分に向けた言葉らしい。

というと、

「ちょっとくらいフォローしてくれてもいいじゃないか」とか、

「頭ごなしにいうんじゃねーよ」とか、

「こっちのことも理解しろよ」とか。

そうゆうことを、私は私に思っているのだろうか。

まったくもってどう解釈していいのか、わからない。

けれど、ひとつ言えるのは、自分の上司への態度が「思い上がり」そのものでしかないということ。

生意気でしかないということ。

相手の言葉を受け止めて、おちついて自分の意見を伝えることができなかったのはなぜなのか。

どうしてなのか。

それは、私はおごっているところがあったから。

謙虚ささえ持っていれば、彼にかみつくことは絶対になかったはずだ。

たしかに、そうなのだ。

私には、謙虚さがたりない。

「謙虚さを大事にしなさい」

それが自分に対するメッセージなのかもしれない。

大人気ない対応をしてしまったことに、果てしない底に落ちていくように感じるほどの「恥じ」と自分自身への「怒り」を感じていたけれど、そうじゃない。

私には、今謙虚さが必要なんだ。

今日という日は、もう戻らない。

だから、明日から、明日こそ、謙虚さをもっていたい。

謙虚さと少しの笑みを絶やさずにいたい。

きっとそれが、私へのメッセージなのだ。

 

リフレッシュしてきます

勤続まる10年がたちました。

それは、本当にあっという間で、大学4年間があっという間だったのとまったく同じように、その年数の実態をほとんど自覚できないくらいです。

最初のうちは、3年経ったら辞めて専業主婦になる、と思っていました。

しかしその夢はついぞ叶わず、あれよあれよと、10年を超えていました。

この10年、いろいろなことがあったけれど、不思議とイヤなことはあまり思い出せません。

いや、覚えていないこともないのですが、それがなかなかの美談にすり替わってしまっていて、気づいたら「イヤな思い出」フォルダにはなくなってしまっていました。

我ながらおめでたい思考ではあるけれど、それに固執していたら生きられなくないですか?

いやなことも美談にすることで、都合よく消化することができる。

きっとそれは、忙しい現代人みんなそうなのでないかと思うのです。

だって、イヤなことを引きずっていられるほど、みんな暇じゃないですもんね。

もっと大事なことがありますもんね。

さて、そんなこんなで10年。

そのご褒美に、と私の勤める会社では、「リフレッシュ休暇」というものをいただくことができます。

計10日間のお休みをいただけます。

私は、5日、5日と2回に分けて取得する予定なのですが、これがもう楽しみすぎて、仕事になりません。

リフレッシュという名なので、「休んでもっとがんばってね」ということなのでしょう。

しかし、私にとっては、まったく仕事には悪影響しかないようです。

すみません。

ということで、9月下旬にシンガポール、マレーシア、タイ。

11月下旬に、オーストリアチェコに行きます。

1回目は、同期でいくので、ほぼみんなにお任せしています。

「ここどう?」

いいねー!

「どこ行ってみたいー?」

動物園!(これは却下されました。泣)

とか、そんな感じでかなりのお任せをしています。

ホテルも飛行機も、特急電車も、工程もすべて同期がやってくれます。

本当にありがたい。

お任せしっぱなしのため、何も頭に入っていません。

空っぽ。

そろそろ、怒られるかもしれないので、あと2週間くらいで、猛勉強をしたいと思います。

一方、11月下旬のオーストリアチェコは、一人旅。

初めての一人旅!

しかも、ヨーロッパ!

だからこそ、なかなか計画が進みませんでした。

それはきっと大きな買い物になるだろうし、決めてしまったら後戻りできないし、それになによりも決めてくれる人がいない(ダメ人間)。

なので考えていたとしても、ぼんやり、ここいきたいな~っていうくらい。

好きで行く旅行なのに、いつの間にか、決めなきゃ決めなきゃと、義務感に責め立てられているかのようで、後ろ向きにさえなっていました。

しかし、1つのボタンを押すことで、この意識がいとも簡単に切り替わったのです。

たったひとつのボタンで。

たったそれだけで意識がこうも変わるか、と驚きました。

 

それは、こんなことから始まりました。

「ヨーロッパいく、って言ってたけど、航空券とったの?」と同期。

ううん、まだー。

「私、パリに行くことにしたんだけど、航空券とったよ。早くとったほうがいいよ!」

そっかー、うん、考えてみるー。

 

それでもまだスイッチの入らない私は、しぶしぶ、別の友人から教えてもらった、予約サイトにアクセスしました。(自分の旅行だろ!)

うーん、どうかなー、髙いよなー。

と思っていたら、なんと、往復で6万円を切る航空券を発見!!

これで本当に問題ないのか、ポーランド航空って大丈夫なのか、とかなんとか、うんうんと小一時間悩んでいたら、ついに残席があと2席に。

あー、これはもう買うしかない。

このまま0席になったら、めちゃくちゃ後悔する。

まだ2席残っているのに、妙に焦燥感にかられて、ポチっとしてしまいました。

 

それからというもの、頭のなかは、ウィーン。

モーツァルトにベートーベン。

オペラに、コンサート、ウィーン少年合唱団

頭の中は、もうすでに音楽の都でいっぱいです。

おじさんのじとっとした体温を感じる満員電車の中でも、ガイドブックを読んでいさえいれば、それほど気にならない。

仕事がたんまりやってきていても、ウィーンのことを考えていさえいれば、ルンルンと仕事ができる。

どうやら、そのボタンをポチっただけで、私の世界はガラリとかわったかのようです。

まるで、恋人ができた時のやうに世界がキラキラして見えます。

あー、航空券の予約ボタンには、そんな効能があったなんて!

なんとまぁ、素晴らしい!

さぁ、これからホテル探し。

どんなホテルに泊まろうか、どこの都市に泊まろうか、そんなことを考えているだけで、本当に楽しい。

ということで、わたし、リフレッシュをしてきます!

 

 

 

 

 

ネイルを綺麗にしていたり、

身なりを美しくしていたり、

カチョウやブチョウに昇進していたり、

お家をもっていたり、

素敵な旦那さんや子供がいたり、

はたまた1人を楽しんでいたり、

知識が豊かだったり、

物をたくさん持っていたり、

いろいろなひとがいるけれど、みんな同じ生物「人間」で、みんなそれぞれ喜びも不安ももちあわせて生きている。

なのになぜか、より「安心」を得るために、「肩書き」や「モノ」をほしがって、もしくは、持っていないワケを正当化して、自分を守ろうとする。

それが、きっと自分に「安心」をもたらしてくれるだろう、と。

社会的に認められるだろう、と。

 

私は、30代「独身女性」として生きているけれど、そこにもそれなりの理由をみつけてしまう。

仕事が忙しかったし、いい人と巡り合えていないのよね。

とかなんとか言って。

それに、独身でも楽しいのよ、と言って見栄を張ってもいる。

趣味のパン作りが楽しい、とか、文章を書いてスキルアップをしている、とか。

もちろん、やりたいことをやっているだけではあるけれど、どこかで、ほんの少しそこに見栄も顔をのぞかせている。

こんな風にしているから、寂しくはないのよ、と。

それが、ほんの少しだけたしかにあって、ゼロ%とは言い切れない。

そんな自分が、気持ち悪い。

 

人にどう思われようとも、自分がやりたいことをやって、楽しんで、満たされているだけでいいんだよなぁって最近思うんです。

自分が感じている「曲がらない真実」を大切にしつつ、

暖かい心でい続けること。

それこそが、わたしにとって本当の「安心」をもたらすのではないのかな、と。

淡々と、やるべきことをやっていけば、おのずと自分のなりたい姿になるはずで、

それを誰かに評価されなくていい。

「いいね」を求めようとしたり欲しがったりせず、潔く生きていたい。

なーんて、漠然と朝の通勤電車で居合わせた、ネイルが綺麗で、化粧をバッチリしている、素敵なオネエサンをみて思いました。

とりとめもない話ですけど。

なんかそうゆう月曜日の朝。

さぁて、淡々と、がんばりましょうかね。

 

鈍感であるというのは最強

こないだ、シュラスコを食べにいってきました。

シュラスコって知ってますか?

ブラジルの料理で、串刺しにされた大きな肉の塊を、テーブルにまわってくるウェイターが切り落としてくれる、というものです。

いろいろな種類のお肉を、時間内であればいくらでも食べられます。

テーブルには札が置かれて、表には「Yes please」と書かれていて、裏には「No thanks」と書かれている。

なので、食べたいときは「Yes」を表に、お腹がいっぱいになって少し休憩するときは「No」を表にして、テーブルにおきます。

すると、「Yes」のときはウェイターがテーブルに随時きて、切り落として分け与えてくれる。

「No」のときは、テーブルには来ない。

そんなシステムです。

それに、サラダもブッフェ形式になっていてたくさんの種類の野菜を食べることもできます。

そんな、シュラスコのお店に行ってきました。

最初は、いろいろな種類のお肉をもってきてくれるウェイターのお兄さんがくるたびに、「わー美味しそう」とかなんとか言いながら、テンションが上がっていたのですが、胃には残念なのですが許容量というものがあって、次第に満腹になっていく。

そして、「少し休憩しよっか」ということで、「No」に札をひっくり返してテーブルにおきました。

安心してゆったりして話に華をさかせていたのですが、しばらくするとウェイターが串刺しで焼かれた大きなパイナップルを持ってきました。

当然、素通りをしてくれるはずです。

だって、私たちは今「No」を表示していますから。

そうゆうシステムですから。

なのに、ウェイターは私たちのテーブルに先ほどと同じように止まって、動きません。

おかしい、と思って、顔をぬっと見上げると、どうやらブラジル人のようでした。

しかし、英語で書かれていますし、そもそもお店の人ですからルールは知っていますよね。

私たちの頭のうえにハテナマークが浮かんでいるのは明らかで、目を見合わせて笑っている私たちに、

小さな声でボソボソと「イカガデスカ?」と言うのです。

そう言われてしまうと、断りづらい。

「じゃ、じゃあ、お願いします」

渋々、承諾。

札が見えなかったのかな、おかしいね、と笑いながらパイナップルを貪る私たち。

けれども、その後もウェイターはくるのです。

「No」にしていても、彼はくるのです。

私たちの札の意思表示なんて、関係ないんです。

彼は、反抗期なのでしょうか。

それとも、サービス心が満点なのでしょうか。

札の意味が、ない。

札の存在価値が、ない。

見えているのに、見ないというのは、すごい力だと思います。

昔、「鈍感力」という本が流行っていましたが、その鈍感力というのは最強なのではないかと最近思っています。

他人がどう思おうと、それには動じない。

自分がいいと思うこと、幸せだと思うことをする。

人になにか言われても、自分の心にその言葉を立ち入らせない。

それができたら、最強だと思うのです。

無駄に凹むこともない。

落ち込むこともない。

そんな世界になるのではないか、と思います。

ウェイターの彼は、サービス業としてはどうかと思うけれど、人にどう思われるかというより自分がしたいからする、を愚直に実行しています。

きっと、彼は幸せでしょう。

仕事であれば、ルールを無視するのはよくありませんけれど。

けれど、彼の照れ臭そうな笑顔を見ていて、そんなことを思いました。

そんな鈍感力と、人の気持ちを察する敏感力をバランスよくもっていたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一回やすみ

「一回休み」

人生ゲームやトランプゲームで、それになると「負け」に一歩近くようで、なかなか喜べなかった。

自分だけ「おきざり」にされて、他の友達がコマを進める。

なんという孤独感と焦燥感。

待って、といっても誰も待ってはくれない。

そりゃ、当たり前だ。

誰しも、先にゴールしたいし、上がって勝ちたいのだから。

なのに、私はその「一回休み」をしようと思っている。

そのうちに、周りのひとはどんどん先に進むだろう。

きっとどんどん書く力を身につけて、どんどん面白い記事を書いていくだろう。

けれど、私は今日で終了した「プロゼミ」を、これで一度お休みすることにした。

あれだけ、楽しい楽しい、と騒いでいたのに?

あ、いつものように飽きたんだね、また辞めるんだね、と思われるかもしれない。

どう思われるかはわからないけれど、飽きたわけではない。

そして、辞めるわけでもない。

この3ヶ月間のプロゼミで、前回の3ヶ月に比べると、課題の提出率もあがったし、ウェブに掲載してもらえる率もあがった。

すくなからず、少しは成長できた、と思える。

けれど、自分に足りない力が、よくわかった3ヶ月だった。

自分が人に伝えたいことは、なんなのか。

自分はこの先、どうゆう形で書いていきたいのか。

まったく明確になっていなかった。

ただただ、書きたいこと、書いておきたいことを、書いた。

けれど、それがなんになるのだろう。

たしかに、書くことで、「私は」満足だった。

心の中にあることをカタチにすることで、すっきりしていたから。

けれどこれって、ただの自己満足じゃないか、自慢なんじゃないか、と思うようになった。

他の人に、読んでよかった、って思ってもらえるような文章ではないのではないか。

まったく自信がなかった。

その理由は明らかで、自分のスタンスが定まっていないからにほかならない。

書くことは好きなのに、書くネタがなくて、じゃあフィクションを書くかと思えど、まるで妄想力がない。

要は、書くことが「ない」。

なくなってしまった。

なくても書けるくらいでないと、このまま高いお月謝を払うのがもったいない。

だから、「一回休み」をすることにした。

その休んでいる間に、今自分に足りないことを補強する。

だから、これで終わりではないし、自分なりに書くレベルを上げていこうと思う。

一回休み、をどうやって楽しもうか。

それが、今、楽しみだ。