てじーの日記

ていねいなくらしのために、ゆらゆら書きます。

不良少年が10年後に教えてくれたこと

「人生の中で、暗黒時代っていつ?」
あまりこう聞かれることもないけれど、もし聞かれたら、私は迷わず「中学時代」と答える。
決して、友だちがいなかったわけでも、いじめられていたわけでも、成績が学年400人中最下位だったわけでもない。
人並みに楽しかった思い出もあるし、可愛らしい恋の思い出もある。
一生モノと思える友だちもできた。
「それなり」に楽しく学校生活を送っていたと思う。
それでも、あの中学時代にだけは戻りたくない、と思う。
だって、あいつらがいたから。
奴らと分かり合うことなんて絶対ない、別世界の人間だ、と思っていた。
なのに、奴らに大事なことを教えてもらうことになるなんて。
そんな時がくるなんて思ってもみなかった。

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※天狼院書店のWEBに掲載していただきました!よかったらお読みください!

非日常なときに気がつく大事なこと

 

出社したときはいつもと何ら変わりなかった。しかし、10時をすぎると、いつもの大きな声が出せない。仕方なく小さい声で、研修中の新入社員に指示を出す。おかしいな、ちょっと疲れてて元気がないのかしら、なんてのんきに思っていた。

11時。後輩と打ち合わせ中、腰のあたりが痛くなってきて、いよいよおかしいのではと思うようになった。そして、悪寒を感じる。やばい、熱が出るのは確実かもしれない。しかし、このタイミングで会社を抜け出すわけにはいかなかった。というのも、この日が新入社員研修の担当としての最後の日だったから。この日の午後は、「最後」にふさわしい話を新入社員に向けてしたいと思っていたのだ。この1ヶ月超、きつめに指導したこともあったけれど、「応援している」「期待している」「これから頑張ろう」とエールを送りたかった。

なのに、なのに、なんてこった。タイミングが悪すぎる。いつも私はこうなのだ。

少しくらい無理がきくのだったら、新入社員を優先していた。しかし、この時かなりの危機感があった。それはもう、お尻に時限爆弾が仕掛けられていてあと30分後に爆発するのではないかというくらいに。

あぁ、これは敗北だ。この状況にあがらうことはできまい。完全降伏をした私は、午後の研修は後輩に引き継ぎ、ノロノロと会社を後にした。

それから、予想通りに高熱が出て、何もできなくなった。腑抜けになってしまった。寝ることもままならない。点滴をしても少しも回復しない。解熱剤を飲んでも熱が下がらない。現代医学によって処方された薬が効かないなんて、すがる藁がない状況だ。あぁ、なんてこった。

そして、重ね重ねタイミングが悪いことに、翌日からは3日間の大阪出張の予定だった。

どうしてくれるんだ、本当に。マイボディよ、どうしたんだ。今まで無理させていたから叛逆をしているのか。それなら謝るから、だからさ、どうにか回復しておくれよ。そんな声は届くはずもなく、大阪行きも断念することになった。

精神的にも身体的にも絶望的だった。そんな時、1通のメールが届く。研修を引き継いでくれた後輩からだった。それは、意外にも新入社員からの伝言を伝えてくれるものだった。

そこには、「お大事にとお伝え下さい」「私たちに(てじー)さんのために何かできることないでしょうか」と書かれていた。

その気持ちが嬉しかった。少し泣いた。ありがとう。

そして、次は上司のブチョーからメールがきた。仕事の話か、はぁ、と思っていたら、意外にも「忙しいの続いてたもんな。いつも色々とありがとう」とあった。え……いつもそんなこと言わないじゃないですか。どうしたんすか。呆然とした。でも嬉しくて、これまた泣いた。

そしてそして、大阪からメールが。「(てじー)さんに会えなくて残念がってましたよ」と写真付きで送られてきた。そこには、2、3年前に新入社員研修で教えていた子たちが写っていた。メールを送ってくれた子も、社交辞令でも残念がってくれた子も、ありがとう。

人と人がつながっていると思えるこの感覚、本当に好き。私はこの人たちに支えてもらって生きているんだな、と思えるこの感覚がすごく好き。いつも当たり前だと思っていることが、非日常になると突然輝いて見える。日常からいつもそれに気づいていたい、大事にしていたい、そう思う。

 

まだまだ寝ていないといけないのだけれど、ちょっと感極まってしまって、この感謝を残しておきたくて書きなぐってみました。

さぁ、それではまた寝ます。

 

 

 

警察官と自転車と私

ピンポーン。

日曜朝9時。家のチャイムが鳴った。

あれ、何か注文していたっけな? 

一人暮らしで、これといったご近所付きあいがあるわけでもないため、家のチャイムが鳴る理由としては、「宅配」か「勧誘」くらいしか考えられない。

ベッドの中で少し考えてみても、今日宅配が届く予定は何もない。

であれば、なんかの勧誘か。

ならば、と居留守を決めこんで、また寝ることにした。

 

ブーブーブー。ブーブーブー。

その直後、今度は携帯が鳴る。

画面を見ると、東京03から始まる固定電話からの着信だった。

覚えがない。なんだろう今日はおかしいな、とチラっと頭をかすめたが、まあこんな日もあるか、とまた寝ようとした。

いやいやいや、やっぱりおかしい。

チャイムの直後に電話。

まるでストーカーのようだ。

怖い。

念のため、着信のあった電話番号をインターネットで検索してみた。

すると、「目白警察署」と出てくるではないか。

なにかの間違いだろ、と思ったが、相手は警察だったのだ。無視はできない。

折り返しの電話をした。

「すみません、先ほどこちらの番号からお電話をいただいたみたいなんですけど……」

あ、特になにもありません、という答えを期待していた。

なのに、

「今、あなたの自転車が別の場所にありまして。至急、警察官を向かわせますね」

という回答だった。

え、自転車? もう何年も使ってないし、錆びついているし、鍵もかかっているはずだ。

どうして私の自転車が? 

ハテナマークで頭がいっぱいだった。

間髪入れないタイミングで、またチャイムが鳴る。

インターホンの画面を見ると、警察官が2人立っていた。

まさか、我が家に警察官が来る日がくるなんて思いもしなかった。

寝起きで頭はボサボサ、メガネを慌ててかけて、寝間着のままだったけれど、気が動転してそのまま玄関のドアを開けた。

「先ほど、酔っ払いがあなたの自転車をもっていき、車になげつけたようです」

へ? 自転車を車に投げつけた?

待て待て待て。

そんな荒技をする人がいるのか?

どんだけ体力持て余しているんだ?

仮に、仮にだけど、車に投げつけるんだったら、他にもっと最適なものがあっただろうに。

石とか、もっと手軽なものが、あっただろうに。

なのに、なんで自転車? 分からぬ。

よく事情を把握できないまま、現場に連行された。

家から30mほど離れた現場には、ちょっとした人だかりができていて、思っていた以上に「非常事態」臭がプンプンしていた。

警察官は5〜6人いて、住民と話をしていたり、メジャーを持って計測したりしている。

「この自転車は、あなたのものですか?」

ポツンと置かれた黒くて錆びついている自転車。どことなく寂しげな表情をしている自転車。

間違いない。私の自転車だ。近くの「あさひ」で買って、最初の2ヶ月だけ乗り回して放置していた、私の自転車だ。

購入された当初はまさか、2ヶ月後から空気も入れられず、油もさされず、ただただ雨風太陽にさらされるだけの運命になるとは思っていなかっただろう。

ましてや、車に投げつけられるなんぞ思ってもみなかっただろう。

ごめんね、マイ自転車。

指紋採取のために、ポンポンされていて、黒い自転車はうっすら白くなっていた。

「被害届だされますか?」

そう聞かれて悩んだ。

被害届を出すことに、ではない。

私ははたして被害者なのだろうか、と思ったのだ。

自転車を持ち出されて、30m引きづられて、暴行の道具にされた。

たしかにこの事実を考えれば、まちがいなく「被害者」なのかもしれない。

しかし、自転車のことを考えると、どうも私はそうではないのではないかと思えてくるのだ。

むしろ、この自転車からしたら、私は加害者の一端を担っていたのではないかと思える。

もし仮に、私がちゃんと綺麗にメンテナンスをしていたら、持っていかれることはなかったのかもしれない。

もし、もう少し自転車に愛を注いでいたら、その愛が酔っ払いに伝わって、「この自転車はやめておこう」となったかもしれない。

そう思うと、なんとなく気が乗らなかった。

まぁ、でもきっと、毎日乗っていて愛着を持っていたら、被害届は迷わず出していただろうけど。

当てられた車の方もそこまでの損傷ではなかったようだった。

総じて大きな被害ではなく、よかった。

不可思議すぎて怖いし気持ち悪いので、早く犯人が捕まりますように。

いやー、何が起こるか分かりませんなぁ。

 

 

久しぶりにマックを食べたくなったので食べてみた

いつごろからか、この世の中は「オーガニック」だの「ナチュラル」だの、ジャンキーというものからはかけ離れたものがもてはやされるようになった。

よほどこの言葉がつくと売上がよくなるのか、食料品はもちろん化粧品、衣服、美容室のメニューにまで、この枕言葉がつく。

ももっぱら、この言葉には弱く、出来る限り「オーガニック」で身体に優しいものをたべたい、身につけたいと日頃から思っている。

だからと言って、すべて「オーガニック」で固められているか、というとそうではないからお粗末様だ。

会社帰りにコンビニによって、ポテチを買って食べることもあるし、健康とはかけ離れた食生活をしている。

にもかかわらず、「オーガニック」という言葉をみれば、いつものそれが帳消しにされるとでも思っているのか、すぐに手が伸びてしまう。

要は、都合がいいタチなのだ。

白米のかわりに玄米を主食にしてみたり、野菜を中心にした食生活にしてみたり、まぁいいと言われるものはなんでも試してみた。

けれど、これが面白いように続かない。

ダイエットと同じだ。

どうしても、続かないのだ。

ダイエットのみならず、この「オーガニック生活」も続けることができないことが分かり、自分が正真正銘、意志が弱い人間ということをまぬがれない事実として認識している。

そんな私でも、マクドナルドのものだけは、ここ数年口にすることがなかった。

身体に悪いから、とかそうゆう理由ではなく、単に身体が欲しなくなったから。

おそらくこれは加齢によるものだと思う。

あの手のジャンキーフードは、もはや胃がうけつけられなくなっているのだ。

自然と足が遠のいていた、「マクドナルド」。

そんな「マクドナルド」をなぜか今日は、食べたくなった。

それも、無性に。

我慢が一番体に悪い。(これがもろもろが続かない理由だと思うが)

ということで、今日のランチはマックに決まった。

久々のマック、ちょっと驚いた。

というのも、なんだかメニューがおかしいのだ。

「ヤッキー」だの「チキチー」だの「エグチ」だの。

最後のに至っては、人の名前じゃないか!

 

その江口こと、エッグチーズバーガー。

あー、これが食べたい。けれど、注文するの、恥ずかしい。どうしよう。

どうゆうイントネーションが正しいのか?

江口でいいのか?

それでもエグチ↑↑なのか?

 

なんだか分からないものを口から発したくない。

こんなところで、お姉さんに「この人、変なイントネーションだな。ププ」と思われたくないのだ。

そんなどうでもいいプライドが、邪魔をしてなかなかそれを発音できない。

 

一か八か、「江口」でトライしてみることに。

「あの、、江口を一つ……」

「はい、かしこまりました!」

 

え、あのー、復唱ってしないんですか? お姉さん。

だいたい、マックの店員さんって復唱するよね?

そうだったよね??

正解を確かめたかったのにー。残念ながら、正解は分からずじまい。

 

とはいえ、久々のマクドナルドは、美味しかった!

やはりたまには食べにこよう!

オーガニックじゃなくてもいいじゃないか! 

ねぇ、そうですよね!?

 

 

 

ゆるく生きようと思います

社会人生活が長くなると、どうしても、自分にも他人にも厳しくなってしまいます。

仕事をするうえでは、きっと必然なのかもしれません。

納期が、とか、仕様が、とかそんなことを毎日考えているのだから仕方ないことかもしれません。

しかしながら、それがプライベートでも弛緩されないでいると、とてつもなく生きにくい。

なんとなく、心がギシギシと音を立てながら、縮んでいくような感じがするのです。

心に余白がどんどんなくなっていってしまうような感じがして、スキがなくなるような。

スキのない女はモテない、なーんて言いますけど、まさに私はそのような状態になってしまっているわけです。

はからずも。

これはいかん!

だから、これは意識的に変わらなくてはいけない。

ということで、

なるようになるさー。

失敗したけど、それもいいよねー。

息して生きてるだけで、しあわせー。

と思って、ゆるーく生きていくことにしました。

なんだっていいや、と。

こうしなければいけないと、がんじがらめにするのはやーめた。

自分らしく、楽しくいきてこ。

 

なぜいつも恋愛がうまくいかないのかやっとわかった

私は、32年生きてきたけれど、今もなお結婚はせず、彼氏もいず、一人でいます。

デートをくりかえしたり、連絡をとったりしているのだけれど、いつも続きません。

いつもうまくいかないのです。

あまりにもうまくいかないので、私は恋愛不適合者なのか、とまで考えたこともあります。

けれど、どうやらそれは違うようなのです。

私はどうやらまだ、恋愛や結婚を「現実」としてとらえたれていないのが大きな理由だということがわかりました。

こうあってほしい、という理想を掲げて、そのパズルにピースがハマるのを待ち続けていたのです。

まるで、中学生が「恋に恋する」のと何ら変わらないことをしていました。

それでは、うまくいくはずがありません。

だってそれは極端に言ってしまえば、生田斗真と結婚したい、と言いながらも家にいてただ待ち続けているようなものだから。

32歳になってもなお、その「恋に恋する」状態から抜け出せていたなかっただけでした。

このことに気づけたのは、ライティングゼミで「ラブレターの書き方」を学んだことからです。

それは、いわゆる恋文の書き方でもありながら、ビジネスで相手に思いを伝えるなどすべてにおける「ラブレター」の書き方でした。

そこで、やっと私は腑に落ちたのです。

詳しいことは書けないのですが(ゼミの内容は門外不出のため)、でも、私が恋に恋していたというのは、どうやら真実のようです。

小さいころから、同世代の女の子と同じように、少女漫画を読んだり、恋愛ドラマ、映画を見て来ました。

だからといって、それにのめり込んでいたか、というとそうではないのですが、私はどうやらそれらの「劇的な」恋愛こそが、「恋愛」だと思っているところがありました。

それらは、人の興味を引きつけるために、そして人気を出すために「加工」された恋愛だったのにもかかわらず、私はそれを追い求めていました。

相手に寄り添うことをせずして、いつもNOを突きつけていたり、突きつけられていたのかと思います。

どうやら、自分が好き好んで「悲恋」を選んで、失恋を繰り返していたのかもしれない。

私は、失恋で凹んでいる自分を、自ら進んで演出していたのかもしれない。

その恋がうまくいくために、積極的に何かをできていたか、マイナスをプラスにするような工夫をしていたか、はたまた少しでも努力をしたか、というと全て「NO」。

今まで知らず知らずにうちに、そんな自分に酔っていたところがあったようです。

やっとそのことに気づきました。

これに気づくのが今というのは、遅すぎるかもしれない。

いや、遅いでしょう。

けれど、一方でまだ遅くはないのかもしれない、と思いたい。

32歳というと一般的には、結婚して子供がいておかしくない年齢。

結婚している人のほうが多い年代です。

それに、婚活市場では、あまり人気がなくなってくる年代でもあります。

けれど、私は今やっとこのことに気づけたのだから、やっと今自分の未来に対して明るく考えられるようになったのだから、前向きに進んでいきたいと思っています。

今度は、悲恋ではなく、幸恋で。(こんな言葉あるのかな笑)

いやー、文章を書く勉強をしているのに、まさか恋愛の仕方について学ぶとは思いませんでした。笑

恋文のラブレターもそうだけれど、広い意味での「ラブレター」を書けるようにがんばります。

 

 

中学校のときの合唱コンクールの歌声を聞いて、感動した話

つい最近、思い切ってCDをすべて捨てました。

思い入れのあるものもあったのでとても勇気がいりました。これ捨てたら、もう手に入れることはできないよな~、と思いながらも泣く泣く捨てました。

ただ 部屋をすっきりさせたい一心により、思い出の品も手放すなんて、薄情です。

分かってます。

だからそのまま捨てるなんてできない。

ということで、捨てる前にすべてパソコンの中に取り込み、ふだん使っているスマホに音源を流しこんでみました。(実は、そのためにパソコンを購入!)

たぶん、スマホの音楽を更新したのは5年以上ぶりだったと思います。

パソコン買ってなかったし、入れるのもめんどくさくて、すべて音楽はオンライン購入をしていました。

聞きたい最新曲はiTunesからダウンロード! それのみ!

お金もったいなーい、という感じもしますが、しょうがない。

そんな私もこの度、パソコンを購入したことで、やっとこさ音楽を更新されたマイスマホは「やっと力を発揮できる」と言わんばかりに、とてつもない多くの音源をふんだんに流してくれるようになりました。

いやー、すごいなー、スマホは。(いや、パソコンか?)

その大量に吸い込まれた音楽の中には、中学校の卒業CDが入っています。

なんだそれ、という感じですが、このCDは中学1年~3年まで毎年行われていた合唱コンクールの各クラスの歌声がおさめられるもので、おそらく、卒業してから聞いたのは合計3回くらいだったと思います。

あの頃でさえ聞いていないものを、社会人11年目になった今こうして聴いていることが不思議。

しかも、エンドレスリピートで。しつこいくらいに何度も、何度も聞いています。

30を超えた女が合唱曲ばかり聞いているなんて、どうなんだろう、と我ながら思うところはありますが、でもこれ、本当におすすめです。

別に、中学校の時の思い出に浸っている、とか郷愁に浸っているわけではありません。

ただ単に、「感動できる」んです。

中学生が、一生懸命歌って、ピアノを弾いて、指揮棒を振っている、と思うだけでなんだか涙が出てきます。

がんばって練習したのね、となんだか親目線になってしまっているんです、自然と。

もうそうゆう歳なのだな~、とこのCDを聞いて気づいてしまいました。

あぁ、あのころ頑張って歌っていたように、また思い切って歌いたい。

「ポプラの木には、ポプラの葉~♪」

カラオケでも行こうかな。