母の愛をふと感じた
ちかごろ、37度とか38度だとかいって猛暑だ酷暑だと騒がしいですが、
私は、それに負けないくらいの温度をしばらくみずから発生させてはそれを持ち合わせていました。
時に40度の王台にのぼりつめたときには、どうにもこうにも動くことさえできない身でありながらも、ひそかに変な達成感さえ感じてはほくそえんでおりました。
ただ、38〜40度が3日間つづいてしまい、本当にこのまま、このまま、高温動物(not恒温)になってしまいやしないかと、気持ちはひやひやしたのも確かです。
ということで、私は、ここんところずっと寝ていました。
最初に発熱に気づいたときは、「こんなもん、寝てれば治るだろ」と決め込んで、とにかく寝ていました。
しかし、まったく下がらない。
そして、だるさが尋常ではない。
これはもしかしたらやばいやつかもしれない。
時間が過ぎるのと比例して、危機感のような妙に小気味悪い気持ちが募っていく。
それに、もう私には手持ちの水がない。
食料もない。
薬もない。
なにもないのです。
これでは、丸腰で戦いに出るようなものです。
困ったわたしは、母に電話をしました。
そのたった10秒の電話で、母が埼玉から都内にくることが決まりました。
その決定の早さに驚きながら、彼女の到着を、今か今かと待ちます。
これほどに、埼玉と東京の距離を遠く感じたことはありません。
早く、早く、とまるで祈るような気持ちで待ち続けました。
エサをとりにいった親鳥の帰りを、腹を空かせて待つ小鳥のような気分です。
じりじりじりじり待って、ついぞ顔を合わせることができたときにも、彼女は「救急車をよぼう」と到着してからものの10秒で決めるのです。
(私の決断の早さは、母親譲りなのだとここで確信します)
こんばんわー!
元気よくヘルメットをかぶった男の人が3人入ってきました。
救急隊員です。
彼らの到着は、とてつもなく早かったです。
そして、親切だった。
とても優しくて、まるでお姫様にでもなったかのように、気を使ってくれる。
ころっと惚れそうにすらなりそうだったので、スッピンで髪の毛ぼうぼうの私は、目を合わせません。
そんなとき、少し遠くで母と救急隊員が話しているこえが聞こえます。
「娘さんのお名前は?」
「●●です」
「年齢は?」
「33です」
へ、33!!?
今、33って言ったか!
しかも即答だった!
私は、どうしてかいつも自分の本当の歳を忘れてしまって、病院などで年齢を聞かれてもすぐに答えられず、たじろいでしまう。
ええっと、いくつだっけ。
34になる年だからもう34だと思っておこうと心のどこかで勝手にルールを作っていたり、
気持ちはまだ32のままでいたほうが少し若々しくいれるから32と思っておこう、などと思っていて、
リアルエイジが必要なときに限って、34になったのか、それともまだ32だったのか、わからなくなってしまうのだ。
(なぜか33という選択肢はでてこない)
本人がそんなかんじなのに、母は、一瞬のためらいもなく即座に33と答えたのだ!
私はそのことにえらく感銘を受け、あぁ、母は私の歳をしっかり把握してくれているんだなぁ、とうっすらとする意識のなか感謝をしていたのです。
私は33になっても、こんな風に親に迷惑をかけるどうしようもない子どもなのだけれど、母の子どもでよかった、と不思議と、とても嬉しい気持ちになりました。
こんな気持ちに気づけるのであれば、病気になるのも悪いもんでもない。
うーん、いやー、まー、でも、
やっぱりこんなに辛いのはもうこりごりなので、健康には留意したいと思います。。
お母さんありがとう、私はもうすっかり元気です。
西郷どんで涙がとまらない
切なすぎるやろー。
西郷どん。
だいぶ録画を撮りためてしまっていましたので、やっと重い腰をあげて、10話くらい見ました。
最後みたときのあらすじは、もはや覚えていない。
だからこそ、重い腰になってしまって、いつも後回しにしていました。(ごめん、西郷)
ということで、見はじめると、これがもう面白くてたまりません。
もともと主演の鈴木亮平がすきなのですが、それだけではない、西郷そのものの男気と人を魅了するあたたかい人柄とが胸にずきゅーん、なのです。
そしてそして、はからずも切ないラブストーリーがあって、さらにずきゅーん。
これはもう涙なしには見られないドラマです。
わたしが心を奪われたのはこんなストーリー。
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とある理由で、薩摩から奄美大島に流されてしまった西郷。
彼は、慕っていた僧侶とともに死ぬつもりでいたのにもかかわらず、自分だけが生き残ってしまったことに、ひどく落ち込み生きる気力は、首の皮一枚程度でした。
ヒゲはぼうぼう。髪はぼさぼさ。
人と話すなんてもってのほかです。
そんなとき、島の娘・とぅま(二階堂ふみ)と出会います。
自分の意志をしっかりもち、前向きに困難に立ち向かっていくとぅま。
正義感の強い西郷は、とぅまに力を添えていきます。
そんな西郷に心を惹かれていくとぅま。
とうとう告白します。
彼がいずれ薩摩に戻ってしまうことを重々知りながら。
それでも一緒にいたい、という美しい気持ちしかそこにはありません。
そして西郷は、とぅまとこの島で生活をともにし、この島で生きていくことを決意するのです。
ほどなくして、子どもを授かります。
しかし、西郷は薩摩に必要とされている男。
これからの時代が激変するときに、必要とされている男です。
奄美にきて、3年ほどで帰らなければならなくなりました。
この3年間、島の子どもたちに学問を教えたり、畑仕事を手伝ったり、ここでも多くのひとたちから愛されていた西郷。
もちろん、とぅまとその家族からも同様に愛されていました。
そして、愛していました。
それでも、それでも、彼は薩摩に帰らなければならない。
連れて帰ることができない。
とぅまは、ただただ浜辺で子どもを腕に抱き、小さくなっていく西郷を見送ることしかできない。
そして、すーっと涙をながすのです。
なにも言うことなく。
はぁ、なんて切ないのでしょう。
こんなに泣いたのは久しぶりでした。
こうゆうお話は、心が洗われます。
本当に、とてもきれいなお話でした。
さぁ、これから西郷はどんどん時代の激流にむかって立ち向かっていきます。
どうなるのでしょう。
楽しみです。
マウンティングって本当にあるんだって思った
女子高でも大学でも職場でも、運よく、なんとなくやってこれたもんだから、「マウンティング女子」という言葉をきいても、今まであまりピンとこなかった。
そんな人もいるんだろうなー、めんどくさそうだなー、なんて他人ごとのように思ってた。
でもそれは、ただ単に気がついてなかっただけで、実は日常的にコロコロ転がっているもんなんだって今さらながら気づいた。
気づいた、といって自分が被害者のように語るつもりはさらさらなくって、無意識のうちに自分もやっているんだってことも気づいている。
気の合う友だちとは、最近はまりはじめた競馬だの、サッカー日本代表のことだの、半分青いがキュン死にするだの、たわいもない話をするのがイチバン。
それで盛り上がるのがイチバンいいんだと思う。
こちらはちょっとした報告をしたつもりで、とくに他意はなくても、相手からは「負けまい」という意思を含んだ言葉で、ボディブローを受けることがあるからね。
そして、こちらそれを無意識にやってしまうこともある。
その落とし穴にはまらないよう、気をつけましょう。
いやー、マウンティングしてしまわない方法がついぞわかったような気がする。
そんな33歳はなんだか疲れたので、もう寝ようと思います。
ぐーすかぴー。
彼氏に心地いいことばをもらえるかどうか問題
もっと痩せなよ。おしゃれしなよ。がんばりなよ。
こんな言葉をかけられるたびに、まるで部屋の片隅にどんどん追い込まれて行くゴミのような気持ちになったものです。
これらは、私が前に付き合っていたひとにかけられた言葉。
その当時は、
その通りだ。私はなまけすぎなんだ。もっとがんばらなきゃ。おしゃれに美容に励んで、ダイエットもしなきゃ。
と素直にそう思いました。
疑うことや、反発をすることは毛頭なかったと思います。
でも、どこかで、悔しいと思っていたのはたしかで、そのような言葉をかけられるたびに、どことなく居心地が悪く、そして惨めな気持ちになっていったのです。
彼からの言葉は正論ではあるけれど、でも決して心地よくはない言葉。
それなのに当の私は、呑気なもので、彼が自分のことを正面切って否定している、という事実にまったく気づかず、なんともアホヅラで「がんばろう」などと思っていたのです。
そんな当時の私のことを思うと、今、とても可哀想でなりません。
守ってあげられなくてごめん、と言いたい気分です。
もし今の私だったら、「あんたの価値観押し付けるんじゃねぇよ! ふざけんな!」ということができるのですが。
そう言えなかったことが本当に悔やまれます。
しかし、まあ、それはそれでよかったのです。
その彼と結ばれず、別れることになり、そのあとも彼との思い出に長らく苦しめられたのはまぎれもない事実ですが、それでも、それでよかったのです。
自分の価値観を相手に押し付けて、自分の思い通りにしようとするという、そんな彼はいらなかったのです。
だからこそ、思います。
今、私は今の彼に出会えて本当によかった、と。
がんばりすぎてしまう私に、「ほどほどでいいんだよ」と声をかけてくれる彼がそばにいてくれるから、私は今やっとうまく力を調整することができている。
そんなのいい大人なんだから自分で調整しろよ、って感じですけれど、それは頭ではわかっていてもどうしてもストイックにしてしまうんです。
それを知ってから知らずか、ほどよく声をかけて、ちょうどいいくらいにしてくれる。
彼は私にとって温泉のような存在です。
温かくて、気持ちのいいぬるま湯につかっていると、ふやけてしまうと思うのですが、この状態でずっと浸かっていようと思います。
そのうちそのお湯が冷めてしまうこともあるかもしれないけれど、最低限、せめて人肌の温度でお互いが気持ちいい温度にしていたい。
水にはならないように、私もそこをあたためるように。
彼にもあたためてもらえるように。
一緒に住んだら変わること、子供がもしできたら変わること、あるかもしれません。
けれど、今このありがたいという気持ちを忘れないように、この記事を書いてみました。
ありがとう、という気持ちを忘れないために。
ドイツのパンを作りました
ひさしぶりにパンを作った。
ラウゲンブロートという、ドイツのパン。
これ、フランスパンを作る時とおなじ小麦粉をつかって作るんですけど、焼いたあとの香りがどんなパンよりも香ばしくて、すばらしくいいんです。
そして、驚くのがその作り方。
ほかのパンとは違って、途中で重曹と食塩を溶かしたお湯にくぐらせる。
こうすることで、ふつうに焼くよりも茶色くなって、見た目もすてきに仕上がります。
(この茶色はこげているわけではないんです!)
いろんなパンを作っていると、「へぇ!」という驚きがあって面白い。
この「へぇ!」を、人生のなかにたくさんつくっていきたいなぁ。
世の中って、しらないことがいっぱいです。
久しぶりの取材現場
私が所属しているのは「企画部」。
企画、といっても商品の企画ではなく、営業企画をやっています。
もう少し具体的におはなしすると、営業さんの「売りやすい」を作る仕事です。
なので、営業ツールであるカタログを制作したり、新規顧客を発掘するためにイベントを企画し開催したり、商品などをアピールするためにWebの記事作成やSNSでの販促なんかもやっています。
非常に多岐にわたる仕事をしている(前回の記事の新人研修もしかり、その他インターンの受け入れ対応などもやっている)ので、一体なにをやっているのか分からなくなることがありますが、
私が一番すきな仕事は、ダントツで「事例カタログ」の制作です。
その取材をひさびさにしてきました。
このカタログは、営業さんが、苦労して受注し納品した現場を取材し、それをカタログとしてまとめ、その事例をもって横展開(アカウント獲得)をしていくために利用されます。
それで、その何がすきって、もうね、取材なのです。
制作物であるカタログ自体はほんとうに「結果」っていうだけで。
それは料理でたとえれば、野菜を切ると言う行為が好きなだけで、その結果である料理自体には興味があまりない、というような、そんなかんじ。
取材には、ライターさん、カメラマンさんと一緒に現場に伺うのですが、これが楽しい。
そして、取材をするというそのものの行為自体が私はとてもすきで、というのも、みんな笑顔になるから。
取材をすると、
お客さんは、システムや学習空間を刷新してなにかしらの課題を解決できていることを、誇らしく思えて笑顔になるし、
うちの営業さんは、いろんな曲面を乗り越えて、無事に本稼働できたことが嬉しくなるし、
この空間には、本当に「いいこと」しかない。
私はもともと営業をしていたこともあって、その気持ちが痛いほどよく分かる。
だから、お客さんにも営業さんにも、思わず嬉しくなるようなことをあえて質問します。
だって、ここでウチの会社に決めてくれたことを存分に感じてほしいから。
そして、また購入してほしいから。
そしてそして、営業さんにまた頑張ってほしいから。
みんなが笑顔になれるって本当にいい気分で、やっぱり私はこうゆう取材が好きだとあらためて思ったのです。
できれば、取材をして、それを記事するライターになりたい。
取材後に、思いが高ぶってしまって、「私、ライターになりたいんです」って、今回のカタログ制作をお願いしている制作会社さんに売り込んでしまいました。
(絶対それはムリなことは分かっているけど。笑)
いやー、本当に楽しかったなぁ。
もちろん仕事だから楽しいだけじゃないのはよく分かるんだけど。
それでも、やりたいと思ってしまうんだなぁ。
もしかしたら、隣の芝は青く見える、ってこうゆうことなのかもしれませんね。
研修して分かった、デキる(だろう)人の特長
ここのところ、とても疲れている。
寝ても寝ても、どうもぐったりしてしまっていて、暇さえあれば寝てしまいたい衝動に駆られながら仕事をしている。
それはどうしてかというと、持ち合わせているパワーのほとんどを新入社員の研修にぶつけているからにほかならない。
59人の若者たちの前に立ち、話をし、ときに指導をする、というのはことのほか疲れる。
おそらくそれは、緊張もあるだろうし、相手が理解しているかどうかを確認するために、身体全身がアンテナになっていろんな情報を受信しようとしているからだろう。
こんなにも疲れることを、学校の先生は毎日やっているのか、と思うと感服すると同時に感謝しかない。
少し話が逸れてしまったが、そうゆうわけで今とても疲れている。
そんなある日の朝礼でのこと。
わたし)おはようございます。それでは、本日の研修を始めます。号令お願いします。
新人)起立。礼。お願いします。
新人全員)お願いします。
このあとは、一日のスケジュールと目標の話、事務連絡をする予定だった。
なのに、座った途端に、一番前に座っている子が、おおおおーきな口をあけて欠伸(あくび)をしたのである。
ついつい目が丸くなった。
そんなことがあるか?
一気に怒りが頂点に達した気の短い私は、朝一で怒ったのである。
いや、こっちだって怒りたくはない。
疲れているうえに、ムダなパワーを使いたくないのだ。
本当なら、お願いだからこちらを怒らせないでくれよ、と言いたいくらいだ。
しかし、これは見過ごすことはできまい。
はい、朝いちばんで、大きな欠伸をした人がいますね。どうしてそんなことができるのでしょうか。我慢できないなら、せめて手で隠すとかそんな配慮はできないのでしょうか。とても失礼です。実は、昨日もそんな人が多数いました。前に立っていると本当にいろいろ見えます。(以下、省略)ということで、しっかりしてください。
立て続けにスラスラと言葉が出てきて、止まらない。
あー、こんな自分は出てきてほしくないのに。
しかし仕事だから仕方ない。
あくびの彼の気持ちも、よーくわかる。
そりゃ、聞いてる方も疲れるよ。
でもよ? 朝一でそりゃないだろう。
というわたしも、もしかしたら、過去の新人研修で大あくびをしていたこともあるかもしれない。
人のことは言えないかもしれない。
それに、人のことをとやかく言えるほど、わたしは完璧ではない。いや、むしろ不完全すぎるくらいだ。
なのに、こんなことを言ってしまうなんて。言わなければいけないなんて。
と、このような叱りモードの後は、必ずと言っていいほど、こう思うのだ。
そんな時、59人を見渡すと、目を伏せているひと、あらぬ方向を見つめ続けているひと、そしてこちらを直視しているひとと、さまざまだった。
はじめはそれを何となく見渡していたのだけれど、ふと、そこにある法則があることに気付いた。
それはこうだ。
目を伏せている人は、ふつうゾーン。
あらぬ方向を見つめている人は、やる気ないゾーン。
そして、こちらを直視している人(だいたいが姿勢がとても良いのだが)は、向上心のあるゾーン。
というふうに。
勝手にカテゴライズするのも、どうかと思うが、でも実際そうなのだ。
彼らには毎日日誌を書いてもらっているのだが、だいたいそれでその子の習熟度や成長度が分かってしまう。
この情報を感覚的にインプットしているのだが、これか講義を受けている態度と、日誌内容の濃密さとが、キレイに相関関係として出来上がっている。
でもそうよね、と思うのだ。
だって、相手の話をどれだけ真剣に聞いているか、でインプット量や質は大きく変わってくるわけだのだから、至って当たり前の話なのだ。
デキルひとって、きっとデキルというわけではなく、相手の言葉を自分の中に吸収しようとすることに長けているひとのことなのかもしれない。
と、なんとなくそう思った今日この頃。
というわたしも、あらぬ方向を見つめる、やる気ないゾーンなのですけどね。