浴衣をきてみたら、少し気持ちがかわった
夏と言えば、スイカ、海、そして花火大会!
ちなみに私は、この3つがあまり好きではない。
というか、夏そのものがそもそも好きではない。
汗がたらたら垂れてうっとうしいし、体力を奪われるだけでなく食欲までも奪われることなんかも、どうも納得がいかないのだ。
冬生まれのせいか、冬のほうが断然、好き。
こたつでぬくぬくがやっぱり幸せでしょう、と思ってしまう。
しかし、そうは言っても、夏は1年に1回かならずやってくる。
それをどうにかして乗り越えなければならない。
さて、それではどう乗り越えるか、これが大きな問題になる。
「太陽と風」のストーリのように、または「長いものにまかれろ」と言われるように、ここはもう、抗うのではなく従ったほうが賢明だろう。
ということで、久々に花火大会に行こうという提案に乗っかってみた。
それで、一緒に行く人が「浴衣がみたい」というもんで、着てみることにした。
今までは、浴衣かぁ、メンドクサイなぁ、
どうして暑いのに、あんなに動きにくく、着くずれをきにする浴衣を着るんだろう。
どうして歩きにくいのに、わざわざ下駄を履くんだろう。
と、まぁ、この素晴らしき日本文化をずっと否定的にみていた。
もちろん、浴衣の「萌え」は重々認めたうえで、である。
そんな私が、浴衣を着ることを快諾したのは、そのくらい経験しておこう、と歳のせいだからだろうか。
それとも、どことなく色めき立つものがあるからだろうか。
今まで着てこなかった「浴衣」に、少し興味が湧いたのである。
男たちが、浴衣姿をみとめた途端に眼の色をかえる、あの「浴衣」に。
そうか、これを着たら私もなにかかわるかもしれない、いや、「着てみたい」と素直に思ったのだ。
ということで、親友に相談。
ありがたいことに、浴衣一式をおかりし、なおかつ着付けまでしてもらうことに。
(妊婦の彼女に、キツク締め付けてもらうのはとても恐縮でした、ごめんね。ありがとう!)
なかなか着付けというのは、面白くて、これがこうなってこうなっていたのね~、ととかく感心しきりだった。
昔の人は、こんな複雑な着方をよく考えたものだ。
着付けが完成し、髪飾りをつけてもらう。
すると、なんと晴れやかな気持ちなんだろう。
なんて、浴衣ってかわいいんだろう。
というか、なんで今までこれを着てこなかったのだろう。
今まで、もしかして「食べず嫌い」ならぬ「着ず嫌い」だったのかもしれないことに気付く。
着ているものが変わると、気持ちも変わる、とはよく言う。
例えば、警察官は制服を着ると正義感がみなぎるというし、サラリーマンはネクタイを締めると気持ちも引き締まる、と。
浴衣もまったく同じで、浴衣を着るだけで、なんだか女らしくなったようで、もう浴衣を着るしか選択肢がなかったんじゃないか、というくらいの気持ちになってくる。
今まで、浴衣を着ている人を「私かわいいでしょ?」と見せてる感を醸しやがってと甚だ嫉妬心を丸出しだったのだが、着てみたらまったくそんなことはない。
「かわいいでしょ」なんて気持ちはではなく、「気持ちが上がる」というただそれだけだった。
ああぁ、夏を楽しむということは、もしかしたらこうゆうことなのかもしれない、と今更ながら気づいた。
「季節を楽しむ」ということは、今まで培ってきたその文化そのものを受け入れて、その中に自ら入ることなのかもしれない。
今回、夏の代名詞ともいえる「浴衣」を着ることで、楽しむことができたのだから、きっとそうだ。
というと、海ももしかして、水着を着てビーチバレーでもしたら好きになれるのだろうか?
いや、そのまえに、水着を着れるだけのボディを手に入れる必要がありそうだ。