マニュアル依存
昔から、絵がヘタで、作文が苦手で、とにかくナニカをゼロからイチにすることが苦手だった。
自由が苦手というか。
はい、自由に絵を描いてください。
自由に文を書いてください。
こう言われると、とたんに不安になる。
教科書は?
ガイドラインは?
何が正しくて、どんなものを書けば先生は褒めてくれるの?
それが分からなくて、見放されたような不安と、丸腰で素っ裸になった自分を評価されるような恥ずかしさとがいつもあった。
だから、自分には向いていない、と決めて立ち入らないようにそこに鍵をかけていた。
一度鍵をかけてしまうと、なかなかそれは解かれることはなくて、わたし苦手なんで、と一言放って逃げることになる。
そうしていると、苦手は苦手なままで。
それは押入れに無理やり詰め込んだ荷物は、いつまでたっても詰め込まれたままなのと同じで。
わたしはいつまでたっても、まったくもって自由な発想をもつことができないでいる。
大人になったいまでもそれは変わらなくて、仕事でもなんでも、決められていること、今までどおりのことはできる。
けれど、どこかを変える、変えよう、と思うと及び腰になってしまう。
これを言ったら、筋違いって笑われるかな、とかありもしないことを考えては、また「いつもの通り」をやり続ける。
けれど、これでいいのだろうか、と思うようになった。
わたしはこのまま、マニュアル通り、教科書を片手に生きていていいのだろうか、と。
先輩の背中を追いかけるだけで、自分の道を作り出せていないのではないか、と。
ひいては、会社が敷いてくれるレールを歩くだけでいいのだろうか、と。
一度も転職することなく、12年。
一度も方向転換をしていない。
それはいいことでも、悪いことでもないけれど。
自分の道をちゃんとその手で作って、自分が楽しいと思える道を見つけていくことって、簡単なようでなかなか難しいということが、最近になってよく分かる。
だから、転職をして方向転換したひと、主婦になると決めた人、フリーランスで働く人、自分のお店を持っている人、経営している人、ってすごいなぁと心から思う。
ずっと、絵が自由に美しくかける人がうらやましくて、
文章を自由におもしろくかける人が羨ましかった。
それと同じように、自分の道をしっかり決めて、行動している人が今すごく羨ましい。
自分にその力がないのは分かっていても、なんかいいなぁって漠然と羨ましい。
自由に生きるって、マニュアルや教科書という世間体ではなく、自分に正直になれる、本当に自立した人だけができることなのかもしれないね。