ぱんこの日記

ていねいなくらしのために、ゆらゆら書きます。

オードリーヘップバーンとミッフィの真髄ってもしかして一緒かもしれない

30歳を超えてから、キャラクターにハマるってどうなのって自分でも思います。

けれど、可愛いものは可愛い。

これ、年齢と紐づけてしまってはいけないのでは、と思います。

とはいえ、街中でキャラクターのキーホルダーをわんさかつけてる人をみると、うわって、思ってしまいますが。

そこまでのレベルではなく、ひっそり好きでいるのはいいでしょ、と自分に言い聞かせています。

というのも私、今、ミッフィにとてもハマっているのです。

なぜ今、と自分でも思ってしまうのですが、もう愛くるしくて、たまりません。

ん? あれ、でも本当に愛くるしいのか?

だってミッフィって、にっこり笑ったり、怒ったりしません。

時に涙の「雫」を見せることはあっても、それでも顔の表情は変わらない。

いつも、・ふたつの目と、×の口がひとつ。

これ、不動です。

それに立体感のない2D。奥行きがありません。

こんな風に思い返してみると、愛くるしい、ってそれ本当か、と思えてきました。

けれど、愛くるしいのです。

それは、きっと究極にシンプルにし、究極に考えられたキャラクター像だからなのかもしれません。

可愛くなりたくて、綺麗に見られたくて、いろんなアクセサリーを身につけてしまうようなデコレーションケーキのような派手さはまったくなくて、

むしろ無駄な要素はばっさり削いで、素材で勝負しているチーズケーキのような。

できる限り、抽象化しているキャラクターなのです。

それは、作者ブルーナさんもそのように証言しています。

最初のデッサンでは、できるかぎり忠実に描く。細部まで細かく。

リアルさを求める。

しかし、それができあがった後に、必要のないものを除していく。

どんどん削除する。

そして出来上がったのが、ミッフィであり、その仲間たちだ、と。

なるほど、と思いました。

だからこそ、時代を超えて多くのひとに愛され続けているのだ、と思いました。

同じように、オードリーヘップバーンも時代を超えずっと愛され続けています。

少し前に、彼女の展示会にいったときのことです。

入り口に入るのに、長蛇の列。

中にはいってからも、世代を超えて10代から70〜80代まで多くの女性で埋め尽くされていました。

進むのがやっと、という感じです。

とても驚きました。

こんなにも愛され続けている人がいるのだ、と。

時代も、国も、違うのに。

けれど、写真をみていくうちに、なんとなくその理由がわかるような気がするのです。

彼女に惹かれる理由が。

とても美しいルックスなのはもちろんですが、とてもシンプルなのです。

洋服が、メイクが、そして考え方が。

ゴテゴテ着飾ったり、顔にお絵描きをするようなメイクではなく、そのまま、ありのままでいた人なんだな、と思いました。

マリリンモンローのような色気を出すわけでなく、かといってボーイッシュになりすぎない、絶妙なバランスで。

驚くことに、会場には少なからず男性もいました。

女性にも好かれ、男性にも好かれる人って本当に稀有ではないか、と思います。

そして、展示会を見終わるころには、その彼女の変わらぬスタンスに、竹を割ったときのような(実際は割ったことないけれど)、射的が的に命中したときのような、なんともいえない爽快感に満たされたのです。

人に愛され続けられるということは、もしかしたらこうゆうことなのかもしれない、と思いました。

ミッフィーとオードリーヘップバーンの共通点、それはシンプルである、ということ。

大事なのは、流行り廃りではなく、そのものの真髄をどのように人に伝えるか、なのかもしれません。

どのように人に伝えるか、ということに頭を悩ませているところだったのですが、もしかしたらなんとなくその答えがチラリと見えたかもしれません。