90点主義とは?
「90点主義でいいんじゃないかと思うんだよ」
友達は唐突にそう言った。
さっきまで、カレーを満足そうに食べて、このお店を気に入ったとニコニコ笑っていた彼女は、私がホットティを呑気に飲んでいるちょっとの間に、真剣な顔つきになっていた。
「ん? それって、90点を目指すってこと?」
仮にそうだったとしたら、「100点は目指さない」「カンペキを求めない」という意味だろうか。
いや、それにしても90点は高すぎる。
完璧を求めすぎて、そして求められすぎて、苦しんでいる現代人にとってはむしろ60点主義くらいがちょうどいいような気さえする。
「ううん、そうじゃなくて」
そういうと、彼女はすぅっと息を吸い込んで一気に話始めた。
「自分の身の回りにあるもので、90点以上のものしか持たないってこと。自分が管理できるものなんてたがたしれてるでしょ? 欲しいものはどんどん増えていって、その欲望に忠実になればなるほどモノに溢れてしまうけれど、でも人一人が管理できるものなんてそう多くないんだと思うの。だから、自分が持っているものはすべて90点以上。それ以下のものは捨てる。そうすることで、きっと豊かな生活を送れるんだと思うの」
なるほどなぁ。
たしかに、そうかもしれない。
自分が持ってるものってよくよく考えてみると、刹那的な欲求で手にしたものが多い気がする。
たぶん6割以上はそうだろう。
LINEのお知らせで毎日のように入ってくるユニクロからのお知らせ。
欲しいものや必要なものがあるわけではなくとも、そのお知らせをついつい読んでしまう。
そしてあたらしい商品があると、はたまたそれが安いと感じると、次の週末には買いに行こうかしら、と頭の中に購入欲がムクムクと湧いてくる。
私は、まんまと広告に引っかかるバカな消費者なのである。
その購入欲が週末までに消滅しなければ、あちらがわの思惑通りレジに並び、お金を払う。
これこそが、無駄な購入。
本当に必要か。
これを持っている必要はあるのか。
あったら便利かも、いつか使うかも、と思って所有してはいないか。
モノが少なければ少ないほど、シンプルになれる。
それは物質的にも、心的にも。
部屋の中がガランとして、整理整頓ができていれば、気持ちが穏やかですっきりするものだ。
京都のお寺の枯山水を思い浮かべてみてほしい。
枯山水は、いたってシンプルな構成をしている。
砂、岩、石。
そのくらいしかない。
整然と綺麗に並んでいるそのシンプルな庭を見るだけで、心も洗われる気がしないだろうか。
そして、どことなく上品な印象を抱くのではないだろうか。
それは、砂や石を大切に扱っていることが、こちらに伝わってくることにほかならない。
モノが多くなれば、一つ一つを大事に扱うことが難しくなる。
もし庭に、岩や石の数が多かったとしたら、その配置や手入れはゾンザイになりかねない。
けれど、枯山水は、究極に美しい適度な数の石や岩で構成するのだ。
それと同じように、リビングやキッチンや風呂場をしていったらどんなに気持ちがいいだろう。
90点以上のものだけで自分の身の回りを構成できたら、どんなに気持ちがいいだろう。
90点主義、少しずつ実践してみるのもいいかもしれない。