ぱんこの日記

ていねいなくらしのために、ゆらゆら書きます。

なぜいつも恋愛がうまくいかないのかやっとわかった

私は、32年生きてきたけれど、今もなお結婚はせず、彼氏もいず、一人でいます。

デートをくりかえしたり、連絡をとったりしているのだけれど、いつも続きません。

いつもうまくいかないのです。

あまりにもうまくいかないので、私は恋愛不適合者なのか、とまで考えたこともあります。

けれど、どうやらそれは違うようなのです。

私はどうやらまだ、恋愛や結婚を「現実」としてとらえたれていないのが大きな理由だということがわかりました。

こうあってほしい、という理想を掲げて、そのパズルにピースがハマるのを待ち続けていたのです。

まるで、中学生が「恋に恋する」のと何ら変わらないことをしていました。

それでは、うまくいくはずがありません。

だってそれは極端に言ってしまえば、生田斗真と結婚したい、と言いながらも家にいてただ待ち続けているようなものだから。

32歳になってもなお、その「恋に恋する」状態から抜け出せていたなかっただけでした。

このことに気づけたのは、ライティングゼミで「ラブレターの書き方」を学んだことからです。

それは、いわゆる恋文の書き方でもありながら、ビジネスで相手に思いを伝えるなどすべてにおける「ラブレター」の書き方でした。

そこで、やっと私は腑に落ちたのです。

詳しいことは書けないのですが(ゼミの内容は門外不出のため)、でも、私が恋に恋していたというのは、どうやら真実のようです。

小さいころから、同世代の女の子と同じように、少女漫画を読んだり、恋愛ドラマ、映画を見て来ました。

だからといって、それにのめり込んでいたか、というとそうではないのですが、私はどうやらそれらの「劇的な」恋愛こそが、「恋愛」だと思っているところがありました。

それらは、人の興味を引きつけるために、そして人気を出すために「加工」された恋愛だったのにもかかわらず、私はそれを追い求めていました。

相手に寄り添うことをせずして、いつもNOを突きつけていたり、突きつけられていたのかと思います。

どうやら、自分が好き好んで「悲恋」を選んで、失恋を繰り返していたのかもしれない。

私は、失恋で凹んでいる自分を、自ら進んで演出していたのかもしれない。

その恋がうまくいくために、積極的に何かをできていたか、マイナスをプラスにするような工夫をしていたか、はたまた少しでも努力をしたか、というと全て「NO」。

今まで知らず知らずにうちに、そんな自分に酔っていたところがあったようです。

やっとそのことに気づきました。

これに気づくのが今というのは、遅すぎるかもしれない。

いや、遅いでしょう。

けれど、一方でまだ遅くはないのかもしれない、と思いたい。

32歳というと一般的には、結婚して子供がいておかしくない年齢。

結婚している人のほうが多い年代です。

それに、婚活市場では、あまり人気がなくなってくる年代でもあります。

けれど、私は今やっとこのことに気づけたのだから、やっと今自分の未来に対して明るく考えられるようになったのだから、前向きに進んでいきたいと思っています。

今度は、悲恋ではなく、幸恋で。(こんな言葉あるのかな笑)

いやー、文章を書く勉強をしているのに、まさか恋愛の仕方について学ぶとは思いませんでした。笑

恋文のラブレターもそうだけれど、広い意味での「ラブレター」を書けるようにがんばります。