こたつの下は、コミュニケーションの場
今は、家族がバラバラに暮らしているので、こんなことも少なくなってしまったのだけれど、今思えばとても好きな瞬間だったなぁ、と思う。
それは、こたつでの団欒。
家族4人でこたつに入っていることが好きだった。父は新聞読んでるし、母はみかん食べてるし、兄は寝転がっているし、私は……なにしてたかな。とにかく、みんな思い思いに過ごしているその瞬間が好きだった。
実家にいるときは、それが日常すぎて、当たり前で、何も感じることはなかった。けれど、4人揃ってこたつに入っているとそれだけでホッとしていたように思う。あれは「幸せなひと時」の何ものでもなかったのだな、と今さら気づく。
振返ってみると、大事だったなぁと思う瞬間ってある。
その、こたつでの話。
私たち家族は、こたつの中でだれかの靴下を脱がすことが横行していた。
「だれよー! お母さんの靴下脱がしたのはー!」
いつだったか始まった。
いつも反抗ばかりしていた、私にとっては怖い怖い、兄の仕業だった。
いつも大きなこと言ってつっぱっていても、甘えたいときもあるんだよね。
この「靴下脱がせ」は、だいたい兄から母、母から私、私から父という流れだった。
別に決めたわけでもなんでもない。でも、なぜかそうだった。
それで、みんなで笑い合う。
なんでもないこと。だけど、今こうして書いていると、胸にグっとくる。
大きな事件なわけでも、別に面白いことでも、なんでもないのに。
でも、そうゆうのが幸せっていうんだな。
そうゆう思い出があることが、なんだか嬉しい。
何でもないようなことが幸せだったと思う。
うん、本当にその通りだ。
その何でもないこと、を大事にしようと思うのに、手からこぼれ落ちてしまう。
どうでもいいですが、
カフェの隣にいる、韓国人が韓国語でもう1時間ちかく電話で話しているのだけれど、しきりに「クサナギ」って連呼している。
何はなしているのかなぁ。
なんでもない幸せ、ってなんですか?