過去と向き合うこと、そして今を生きること
「言葉を大事にしたい」という思いから文章を書く勉強を始めました。
私自身、ずっと言葉を大事にできていないと思っていたのです。
本当はずっと前から、それに気づいていました。
けれど、見て見ぬふりをしていました。
なにか思いついたら、すぐに言葉にしてしまう。
頭と言葉が直結しすぎていました。
友だちとの会話では、誰よりも先に笑わせられるようなことを言いたいがばかりに、前のめりになって話をしてしまう。
瞬発的に言葉を発することが習慣になっていました。
だからか、人から「軽い」と言れたり、「本当に思っているのか」と言われることが多かったのです。
それが、少しだけコンプレックスでした。
母親から「言葉は消しゴムでは消せないからね、気をつけなさい」と何度も言われて育ってきました。
それなのに、私はそれをしっかり理解することなく、言葉を軽く扱ってきていました。
言葉を大事にしよう、とした途端、自然と言葉が出てこなくなりました。
人と話していても、言葉が出てこない。
怖くなったのです。
この言葉は、私の口から放たれた途端、もうそれは私のものではなくなり、相手のものになってしまう。
相手のフィルターを通して理解されてしまう。
怖い。
そんな時、文章を書くことで、自分の考えていることを整理できるようになってきました。
それは同時に、自分と向きあうことでもあります。
書くというのは、過去の自分と向き合うことになるのです。
あぁ、あの時、こう考えていて、こうしたかったんだな~、とか。
あの時の経験がいまだに自分の心の中には残っていて、消化できていなかったんだな、とか。
そして、その過去を見つめていると、だんだんと「これからどうしたいか」にも目が行くようになりました。
自然と自分の心の底の願望をしっかりと受け止められるようになってきたのです。
だからどうだ、というのはありません。
他の人からみたら、こうして文章を書いていること自体は、ただの自己満足にしか見えないと思います。
はい、私もそう思います。
けれど、こうして文字にしていくことで、何かが生まれるのは確かなのです。
何を書こう、何か書きたい。でも何について?
考えるだけで、実は苦しい。
でも書かないと、私は今、前に進めなくなっています。
言葉は、とてもすごい力を持っています。
これからは、大事に大事にしていきたいと思います。