マニュアル依存
昔から、絵がヘタで、作文が苦手で、とにかくナニカをゼロからイチにすることが苦手だった。
自由が苦手というか。
はい、自由に絵を描いてください。
自由に文を書いてください。
こう言われると、とたんに不安になる。
教科書は?
ガイドラインは?
何が正しくて、どんなものを書けば先生は褒めてくれるの?
それが分からなくて、見放されたような不安と、丸腰で素っ裸になった自分を評価されるような恥ずかしさとがいつもあった。
だから、自分には向いていない、と決めて立ち入らないようにそこに鍵をかけていた。
一度鍵をかけてしまうと、なかなかそれは解かれることはなくて、わたし苦手なんで、と一言放って逃げることになる。
そうしていると、苦手は苦手なままで。
それは押入れに無理やり詰め込んだ荷物は、いつまでたっても詰め込まれたままなのと同じで。
わたしはいつまでたっても、まったくもって自由な発想をもつことができないでいる。
大人になったいまでもそれは変わらなくて、仕事でもなんでも、決められていること、今までどおりのことはできる。
けれど、どこかを変える、変えよう、と思うと及び腰になってしまう。
これを言ったら、筋違いって笑われるかな、とかありもしないことを考えては、また「いつもの通り」をやり続ける。
けれど、これでいいのだろうか、と思うようになった。
わたしはこのまま、マニュアル通り、教科書を片手に生きていていいのだろうか、と。
先輩の背中を追いかけるだけで、自分の道を作り出せていないのではないか、と。
ひいては、会社が敷いてくれるレールを歩くだけでいいのだろうか、と。
一度も転職することなく、12年。
一度も方向転換をしていない。
それはいいことでも、悪いことでもないけれど。
自分の道をちゃんとその手で作って、自分が楽しいと思える道を見つけていくことって、簡単なようでなかなか難しいということが、最近になってよく分かる。
だから、転職をして方向転換したひと、主婦になると決めた人、フリーランスで働く人、自分のお店を持っている人、経営している人、ってすごいなぁと心から思う。
ずっと、絵が自由に美しくかける人がうらやましくて、
文章を自由におもしろくかける人が羨ましかった。
それと同じように、自分の道をしっかり決めて、行動している人が今すごく羨ましい。
自分にその力がないのは分かっていても、なんかいいなぁって漠然と羨ましい。
自由に生きるって、マニュアルや教科書という世間体ではなく、自分に正直になれる、本当に自立した人だけができることなのかもしれないね。
新社会人に告ぐ
4月になると、電車やホームには真新しいスーツを着った若者たちが、ひとかたまりになっていて、そこだけピンク色のような黄色のような、とにかく明るい空気があって、その他のひとたちとは明らかに違って楽しそうしている。
そんな光景をみるたびに、12年前の新入社員だった自分を思い出す。
あー、私もあんなふうに浮き足立ってたのかなー、あんなに風に仲間とキラキラしてたんだったっけなー、とか漠然と思う。
けど、まてよ。
違う、そうじゃない。
私は、あんなふうにキャーキャー言って笑ったり、つるんだりしなかった。
一緒に通勤したり、どこかで待ち合わせてお茶をしたり、してなかった。
頭の中のどこを探しても、かき分けて探しても、どうしたって見つからない。
なぜなら、私は「同期」とつるむことを異様に嫌っていたのだ。
そのときの私は、かたくなに、そしてあからさまに同期との付き合いを避けていた。
まるで、犬嫌いな人が、犬に好かれて、逃げ回っているかのように。
研修が定時の17時15分きっかりに終わった途端、誰かが言い出す。
「今日も、だんらん(近くの居酒屋の名前)ねー!」
「いこー!」
60人超いる同期が、思い思いに研修会場を出て、そのまま居酒屋に直行する。
ほぼ毎日、だ。
私は家が遠いことを理由に、そろそろと誰にも気づかれないように帰ろうとする。
でも、決まって気づかれてしまう。
「あれー! 帰っちゃうのー? いこうよー!」
人懐っこい同期は、何度断ってもめげずに何度も何度も誘ってくれる。
気持ちは嬉しい。
けれど、私は同期に味方はいらないのだ。
私の味方は、中学や高校や大学の友達だけであって、それだけで大丈夫。
それだけでお腹がいっぱい。
だから、いらない。
仲良くしたいなんて、これっぽっちも思わない。
社会人になってから、友達なんて作れるわけがないと思っていたし、作ろうとも思わなかった。
そもそも私は、大人数が苦手なのだ。
仕事だって、したくてしているわけではない。
付き合っている彼氏と3年くらいしたらきっと結婚するし、そしたら辞めるし。
だから、仲良くする必要なんてない、なんて思っていた。
なのに、気づいたら、もう12年経ってしまった。
3年したら辞めると言っていた私は、その4倍も長くこの会社にいる。
想定外。
本当に想定外、としかいいようがない。
それに、仲間なんて作らない?
そんなこと、今は口が裂けても言えない。
「今日さー、課長がまたくだらないことで怒ってさー、ほんとやんなるわー」
「隣の先輩が、朝っぱらから自席で爪切りしてるんだけど、ふっと横見たら今度は耳かきしてんの! 家でしろよだよなー?(笑)」
毎日、ランチで、ラインで、イライラしたこと、面白かったこと、悔しかったこと、どんなに小さなことでも共有して、そうしていることで平静を保っていられている。
こんな風に仕事を続けてこれるなんて、思ってなかった。
たぶん、この仲間がいなかったら、私の愚痴を聞いてくれて笑ってくれる、この仲間がいなかったらきっと、私はとっくのとうに会社を辞めていた。
辞めたい、辞めよう、と思うことがなかったわけではない。
いや、むしろたくさんあった。
けれど、私はこの仲間との交流がなくなってしまうのが、怖くて、手放したくなくて、辞められなかった。
そんな仲間ができるなんて、思ってもみなかった。
もちろん、今でも辞めたいと思うことはある。
というか、いまも現在進行形で辞めたいと思っている。
けれども、いつも頭の隅にいて、手を離さないでいてくれているのは、この会社の同期であり後輩であり、先輩だ。
だから、駅やホームでキャーキャーしている新入社員を見ていて、思うのだ。
「細く、長く、その仲間を大事にしてほしいな」と。
たとえ会社を辞めたとしても、勤務地が離れ離れになったとしても、また会えば笑いあえるような仲間を作って欲しい。
そう思う。
これから、いろんなことがあるだろう。
辛いこと、悔しいこと、自分の無力さにつまずきそうになることなんて、たくさんあるはずだ。
けれど、そこで支えてくれる、そして支えたいと思える仲間に、そして時にライバルと思える仲間を大切にしてれば、きっと、きっと社会人生活はいいものになるだろう。
がんばれ、新社会人!
そして、がんばろう、わたしたち中堅社員!笑
仙台にいったときの食べたものの話
こないだ、仙台に旅行に行ったときのこと。
旅行といえば食事、なわたしなので、当然限られた2日でなにを食べるのかというのは、どんな洋服を着るかより、どんな観光名所をめぐるかより大事な、一大イベントなのです。
なので旅行前の計画では、なにを食べるのか、が焦点になりました。
仙台といえば、牛タン。
これは誰もが知っていることです。
当たり前のように組み込まれます。
それから、牡蠣。
これも海辺だということ、牡蠣で有名な松島に行くということから、これも必然です。
それからそれから、ずんだも食べたい。
ずんだ、というのは枝豆をすりつぶした、あんこが大豆だとしたら、その枝豆版です。
いやー、当然食べるよね。
ということで、こちらもランクイン。
まあ、こちらはどちらかというと、食べられなかったらお土産だねー、なんて話してました。
(お土産は、かの有名な「萩の月」が我がもの顔でお土産リストに名を連ねますから、ここでも自分のなかで熾烈な争いが発生することがかるーく想像できます)
そして、仙台入りしてからというもの、順調に、牛タン、牡蠣、をたいらげます。
本当に美味しかった。
牛タンは、肉厚で、なのにすぐに口の中でなくなってしまうし、タレもご飯がすすむあの味で、もうたまりません。
牡蠣は、焼いたものと、ごはんに混ぜたものと、お吸い物のなかにはいったものをいただきましたが、どれも海の不思議を感じさせるくらい美味しくて。
潮って、海って、ありがたい、と思いました。
いやー、どれもほんとうに美味しい。
そして、すこし優先順位がさがっていた、ずんだ、です。
こちら、はまりました。
みごとにはまってしまいました。
ずんだ餅、お餅とほどよく甘く、枝豆の粒々を感じさせるずんだが、絶妙です。
これに味をしめたわたしは、そのあと、ずんだたい焼き、ずんだシェイク、と続きます。
だれだ、お土産でもいいねー、なんて言ってたのは!
ずんだに取り憑かれたように食べまくりました。
もしかしたら、今回の旅でいちばん、ずんだの満足度が高かったかもしれない。
もちろん、お土産としても買って帰りましたし、もっというと新幹線のなかでも、ずんだ
たべました。
もうここまでくると、ずんだおばけです。
あー、ずんだ、ずんだ、ずんだ、
また食べたいなぁ。
(おまけ)
牛タン。並びました。やっぱり人気です。
牡蠣定食。牡蠣ごはんが大好き。
これだけ、ずんだについて語ったのに、ずんだを前にすると食べることに夢中で、写真が一枚もありません。
ずーん、だ。
ケチだよね、といわれて気づいたこと。
「前から思ってたんだけど、ケチだよねー。自分にはたんまりお金使うくせに」
今日、いきなりそう言われた。
うわ、と思った。だってそれはどれも本当のことだから。
そう、私はケチだ。
言い換えると、人にモノをあげるという意識が、低い。
だから、お誕生日プレゼントも、本当に大切な人にしかあげないし、親にプレゼントすることも本当に稀だ。
私は本物のケチなのだ。
そのくせ、料理教室だの、ヨガだの、ライティングだの、自分の興味のあることには躊躇なくお金を使う。
だから、(これを言うと嫌われそうだから言いたくないけど)人に対して使うお金を惜しむという人として最低なケチなのだ。
けれど、恥ずかしながら30を超えても、自分がケチであるということを自覚するタイミングがなかった。
それを指摘されたこともなかった。
でも、気づいてしまった。
いや、気づかされてしまった。
それも思いがけないタイミングで。
花粉症がきつくなってきた私は、同僚に勧められて「花粉が水にかわるマスク」なるものを購入した。
しかし、1日このマスクで過ごしても、一向に効き目がない。
どうしたものか。
3枚で1000円もしたのだ。
普通のマスクだったら、だいたい一枚あたり20円あたりだろうから、実に10倍以上もする高価なものなのだ。
効果がないというのはなんということか。
そんなことを思い、勧めてくれた同僚にその無能さについて語り、ダサいネタとして笑いをとった。
「じゃあさ、それ必要ないなら、あいつに売ったら?」
と同僚が言った。
あいつ、とは私たちの同期の女子みたいな男子。
私たちはよく三人で女子会を開く。
化粧品や下着などの女性特有な話題にも、違和感なくついてくるやつ。
いや、もしかしたら私たちよりも女性なのかもしれない。
日焼けを予防するためにビタミン剤を飲んでいたり、旅行のときには納豆菌を飲んで胃腸をサポートしたり、洋服のブランドにも詳しくて、とにかく今時のOL感が半端ない。
そして新しいモノがすきでミーハー。
ドローンが発売されればすぐ買うし、アイポンも新商品がでればそのたびに我先にと手に入れる。
そんなあいつなら、飛びつくかもしれない!
そう思った。売ってやろう、と。
普通なら、「私は必要ないし、あげよう」と思うのかもしれない。
けれど私は、「売る」という選択肢か持ち合わせず、
「ねぇねぇ、これ2枚で600円で買わない?」と持ちかけたのだ。
なんて浅はかなのだろう!
彼は、「花粉を水にかえる」ということ自体には興味津々ではあったものの、不信感をあらわにした。
「でもさ、それ怪しくなーい?」
まるで女子高生がいうように、語尾をこれでもかと上げて不審をこちらにぶつけてくる。
「それにさ、高いよねー? というか売るとかって……(ギロっとこちらを見る)。前から思ってたけど、ケチだよねー。自分にはたんまりお金使うくせに」
うう。
言葉がでなかった。
そうですよ悪かったね、と言いながら、その場を去ろうかと思うほど、いらっとしてしまった。
だって、それは本当のことだったから。
でも、待てよ。
こんな風に正直に、思ったことを言ってくれる友達が、どれだけいるのだろうか、と。
30を超えると、どんなに仲のいい女友達だって、多少なりとも気を遣い、遣われて、関係を続けることになる。
結婚しているか、子供がいるか、仕事をしているか、していないか。
それぞれの環境が少しずつ違うことで、今までわかる部分が多かった友達だって、だんだんとわからない部分が増えていく。
だから、自然とデリケートなところには触れないように触れないように、なっていく。
これはしょうがないことなのかもしれない。
けれど、寂しいな、と時々思う。
言いたいことを言えない。
言われたいのに言ってくれない。
そうゆう、あやうい綱渡りのような関係になっているのなんて、本望ではない。
前のように、学生のときのように、思ったことを思ったまま言って、笑いあって、ダメ出しするときはふざけて笑いに変えて、それで一緒に成長していけたらどんなにいいか。
しかし、私たちはもう大人だ。
相手との境界線を、じっと見つめながら、それを超えないよう超えないようにすることが暗黙の「大人の流儀」だ。
それで関係をうまく保とうとしているのだ。
もちろん、今でも正直に思ったことを言い、言われる関係の友達ももちろんいる。
そんな友達は、本当に大事な友達だ、と思う。
だから、もしかして。
もしかして、同期のその女子のような男子は、大事にすべき友達なのかもしれない。
そう思った。
いや、間違いなく、大事にすべき友人だ。
家族以外で、思ったことを直球でぶつけてくれる人というのはなかなかいないのだから。
そんな友人は、ありがたい存在なのだ。
はぁ、まさかケチと言われて、そう言った相手のことを大事な存在だと思うとは思わなかった。
(いやー、これ書いていくうちに、どんどん書きたい内容が変わっていって、びっくりしたー)
面白いですね。
表面に起きた出来事をそっくりそのまま受け取るだけでなく、そこからいろいろと思いを巡らしてみるのも楽しいものですね。
そんな水曜日。
さ、明日と明後日が終われば、またお休みです。
ゆるーり、がんばっていきましょうかね。
先に言われるのと、言われないのでは、大きな違いがあるんです
「はい、ちょっと冷たいですよー」
冷たいくらいなら、大丈夫。
いいですいいです、とっととやってください。
これは、ついこないだ子宮頸がんの精密検査「コルポ診」と「組織診」をやったときのこと。
いやー、自分がまさか、健康診断で引っかかるなんて思ってもみなかった。
しかも、「まぁきっと大丈夫だろうけど念のため受けとこう」くらいの軽い気持ちで、言ってしまえば安心料を支払うくらいの気持ちで受けた「子宮頸がん」の検査だった。
それが12月の終わり。
それから1ヶ月くらい経って、結果は、仕事かえりに家の郵便受けで受け取って、そのままリビングに入って、手を洗ってせんべいか何かを頬張りながら確認したと思う。
それは郵便ポストに雑多に入っているチラシを流し目でみるのと同じくらいの確認の仕方で、まったく警戒してなかった。
けれど、そこにあったのは「要精密検査」の字。
あまりにも思いがけなくって、おもわず「えっ……」と絶句してしまった。
だって、何もない。
痛くないし、血がでてきたわけでもないし、気分も悪くない。
なんなら生理も、予定日とズレることなくしっかりきている。
全然そんな前ぶりがない。
でも、そこにその文字があるのは紛れのない事実であって、まるで自分ごとではないような気持ちがして、それからいきなり全身から力が抜けて、がっくりした。
まだ癌だってきまったわけではないのに、気持ちはすっかり落ち込んでしまって、何度も何度もその文字を読み返した。
あぁ、こんなにもダメージを受けるものなのか。
はぁ、我ながら情けない。
でも、まだわからないのだから、と自分で自分を励まして、すぐにネットで検査の予約をした。
婦人科にいくのは、久しぶりだ。
初めて行くクリニックだったけれど、ネットの情報と少しも違わず、とても綺麗で、おしゃれで、そして多くの女性で賑わっていた。
受付の女の人も、看護師さんも、お医者さんもとても上品で、優しくて、緊張を温かいなにかでほぐしてくれた。
それでも、やっぱり婦人科特有の診察台で足を広げてお見せすることには、どうしても抵抗があった。
もう、このひとたちと顔を合わすことはない、と思い込んで、けれどその1分後には目を見合わせて話をしなければならないのには、フフっと笑ってしまうような小っ恥ずかしい気持ちになった。
そしてこの検査で、まだ子宮頸がんではなく、その前段階の異形細胞がある、ということがわかった。
この異形細胞は、ほとんどが自然治癒で消えるらしいのだけれど、念のため総合病院でより詳しい検査をするように、と言い渡された。
詳しい検査をする理由はなんだかよくわからないけど、でも、ここは受けておこうとすぐに大学病院に行った。
そこでうけたのが、「コルポ診」と「組織診」。
その大学病院では、やけに淡々としたお医者さんで、検査についてあまり十分な説明がないまま、診察台Bに乗ってください、と言われた。
言われるがままに、診察台Bのカーテンの中に入り、タイツを脱ぎ、下着を脱ぎ、診察台に乗った。
「はい、ちょっと冷たいですよー」
男のお医者さんがそう言う。
2度目ともなると、診察台で足を開くことに抵抗がなくなったのだろうか、相手が淡々としているからだろうか、はいはいそんなことどうでもいいですよー早くやっちゃってください、と半ばなげやりな気分になる。
けれどその後、チクチクしたり、チョキンという音が聞こえたりして、気が気でない。
思わずイタっと声がでてしまう。
え、聞いてないんですけど。
冷たい、しか。
少し痛いですよー、とか、ちょっと我慢してくださいねー、とか言われてないんですけど!
普通いうでしょ。
歯医者さんでも、そんなに痛くないときだって「少し痛くなりますよーがんばってくださいねー」って励ましてくれるでしょ!
なのに、そんな歯医者と比べ物にならないくらい痛いのに、全然そんなの聞いてないんですけど!
内臓を切られる(正確には子宮細胞)っていうのは、その痛みのために、たとえ顔のパーツがすべて中心に寄ってしまったとしても耐えるしかできないような、そしてそれと同時に大切なものをえぐられたような、なにかに侵害されたような屈辱的な気持ちになる。
そんな私に、まるで街ですれ違った時に肩がぶつかったかくらいのレベルで「大丈夫ですかー」と全然心配してない声で、中身スカスカの言葉をかけられる。
こうゆうときって、大丈夫じゃないけど大丈夫って言うしか選択肢がない。
そんな心地がいいとは言えない状況から、そそくさと逃げようと思い、下着を履いて、タイツに片足をつっこんだ時だった。
急に気持ち悪くなったのだ。
気持ち悪くて、コホコホと弱々しい咳がでる。
あれ、おかしいな、と思ったときには立ち上がれなくなってしまった。
あれ、これはなんだ。
手が痺れて、足が痺れていく。
「すみません、気持ちが悪いので、少しここで休んでいいですか」
慌ててお医者さんと看護師さんが3人かけつけて、いつのまにか車椅子にのせられて、ベッドに横にならせてもらった。
私は、今まで一度も貧血になったことはないし、倒れたこともない。
あぁ、これか。
これが貧血なのか。
いまだ子宮も痛い。
体のどの部分も、ほんのちょっとも力が入らなくて、痛くて、歩けなくて、なんだか自分がとてつもなく非力で、脆く感じる。
ちょっとでも押されたら、もう二度と起き上がれなくなるのではないか、と思うくらい力がない。
人間って、脆いんだなー。
片足タイツ、片足生足の私は、しばらく横になりながらぼんやりそんなふうに思っていたら、「すこし落ち着いたかなー?」と言いながら看護師さんがやってきた。
この検査でね、緊張してて、痛かったことでさらに緊張して、それで終わった途端に力が抜けてこうなっちゃう人って多いんですよー。
だから心配しないで大丈夫ですよー。
って言ったのです。
それも聞いてないよ、痛いってことも、倒れることもあるってことも、聞いてない!
なんでしょうね、この後出しじゃんけんされたときのような気持ちは。
なんでしょうね、この敗北感は。
やっぱりね、想像されるであろうことは、事前に言っていたほうがいい。
絶対、そのほうがいい。
だって、合意が取れるからね。
そうならなかったら、それはそれでラッキーって思えるからね。
よかった、って思えるからね。
だから、何ごとも、考えられること(メリットもデメリットも)先に伝えたほうが相手のためにはいい、と思うのです。
それがサービスだと思うのです。
それが病院であっても、そのスタンスは大事だと思うのです。
伝えることは大事。
ただ、伝え方はもっと大事。
そんなことを思った「コルポ診」「組織診」。
これから受けるひとは、少しだけチクっとするし、私みたいに気持ち悪くなってすこし安静にする必要がでることもあるよってことを覚悟をしていたほうがいいかもしれません。
カーリング女子にハマる理由
カーリング女子が、気になってしょうがない。
平昌オリンピックが終わったのに、だ。
なのに、彼女たちの笑顔や、しぐさや、話をしている時のことを、どうにもこうにも思い出してしまう。
それは、通勤している電車の中で、仕事が終わって帰宅したあとのあったかいカーペットの上で。
そんなボーっとした頭で、無意識に「カーリング女子」と検索してしまっている。
ハッと、そんな自分に気づいて、「え、なんで?」と思った。
ほんと、なんでなんだろう。
だって私は女だし、性の対象ではないし、年下だし、カーリングという競技自体もこのオリンピックでやっとほんの少しルールが分かった程度のただの「にわか」だ。
なのに、なのに、どうしても、どーしても、気になる。
いや、可愛いのはわかる。
だってあんな甲高い声で「そだねー」とか「うん!」とか言ってるの、たまらんでしょ。
それにあの笑顔!
なにあれ。
いつも笑顔で、試合中これはもう絶体絶命みないな時だって、表情が曇るにしても、それはほんの一瞬であって、すぐに切り替えて、いつのまにかまた笑顔になってるし。
ずるい。
ずるいよ。
だってそれが、もう「可愛い」以外のなにものでもないんだもん。
あー、可愛いっていうのは、なんでこんなにも無敵なんだろう。
だって、可愛いっていうだけで、なにをしていても可愛い。
ブラシの柄の上に顎を乗せて話しているだけで可愛いし、いちごを食べているのも可愛い。
むしろ地べたに座っているだけで、可愛いのだから!
あー、もう、可愛い! 目が釘付けになってしまう!
なんなのだ、あれは!
なんなんだ!
そんなふうに思って爆発しそうになった時、「あ、もしかして」と思った。
これだけは、わかってしまいたくなかった。
認めたくなかった。
でも、分かってしまったのだからしょうがない。
これは、この答えはね、私はもはやオヤジなのかもしれないということ。
そうなのだ!
彼女たちをみて、可愛いと思い、応援し、見とれてしまい、無意識にネットで検索してしまっている、というこれは、オヤジなのだ。
これがオヤジの若い女の子を可愛いと思う感情なのか!
あぁ、と思った。
というのも、私はもう30代になりもはや「女の子」ではない。
いつのまにか「女性」になっていて、「女の子」のステージからは卒業した。
だからか、最近は20代の女の子たちと張り合うこともないし、イライラすることもないし、むしろ応援したいという気持ちも強くなってきた。
純粋に、がんばってるね、がんばってね、と思う。
そして、そんな頑張っている女の子を見ると、なんだか胸があつくなるのだ。
仕事が辛くて、なかなかうまくでいなくて、もがいている女の子を見ると、もうたまらない。
こんなに可愛い子が、頑張ってるなんて。
けれど多くは語らない。だって疎ましく思われたくないから。
だからもう少し、もう少しこうしたらいいんだよ、時間が経てばわかるよ、と心の中で精一杯応援している。
そうして私は、見えない線をひいて、性別までも(意識的には)変わってしまって、いつの間にか、「オヤジ」になっていたんだな。
どうりで、ここ最近とくに、会社の40代の先輩と気が合うわけだ。
愛おしいと思うわけだ。
私は、女の子を卒業したと同時に、いつのまにかオヤジと化していたのかもしれない。
だからか。
だからなのか!
だから、私はカーリング女子が気になって仕方ないのか!
彼女たちは、オリンピックという世界中が見守る中で、立派な戦い方をした。
負けても次の試合ではそれをひきづらず、試合の中で苦しい展開になっても、いかにしてそれを打破するか、いつでも前向きに、ひたむきに勝利への道を自ら作り、そこをひたすら歩もうとするのだ。
健気、とでも言おうか。
その健気さが、そしてその真面目さが、胸をうつ。
それも、それが「可愛い」女の子たちなのだから、その感動もひとしおだ。
あぁ、そうゆうことか。
なんだ、「女の子」から卒業すると、こうゆう心境になるのか。
カーリング女子が嫌いとか言っている人は、おそらくまだ「女の子」なのでしょう。
まだ彼女たちと張り合って、そして彼女たちが可愛いから嫉妬しているのでしょう。
いやー、もうね、「オヤジ」になってしまったほうが楽だよ。
アンチカーリング女子の人の肩をトントンと叩いて、「こっちにおいでよ、楽しいよ」と言いたい。
あ、だからといって、女を捨てるのとは違うからね。
そこんとこ間違えるなよ、私よ!
私の好きな街
ホームに降り立った瞬間、心が喜んでいるのがわかる。
そして、おもむろにキョロキョロあたりを見渡す。
自然と笑みがこぼれてしまっているのではないか、と不安に思うからだ。
そのくらい、私はこの街が好きだ。
もしかしたら、今、私が一番好きなのは、この街なのかもしれない。
最初にここにきたのは、たしか中学2年生のときだった。
その時は、母と一緒で、いつもよりドキドキしていた。
よそ行きの格好をしていたからかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
どこか、初めて友達のお家に遊びにいった時のように、お行儀よくしなくちゃいけない、とそわそわしているような感じだった。
30分くらい電車に乗って駅の改札を出たら、目の前に大人が行くようなお上品なデパートが、凛とそびえたっていた。
私が住む田舎町とは、全然違う。
歩いているひとたちも、素敵に見えた。
ここで大きな声で笑ってはいけない、と無意識に思った。
だからか、母の影にかくれるようにして、ひっそり歩いたのを覚えている。
次にきたのは、中学3年生の夏だ。
憧れの高校の文化祭に行くためだ。
2年生までは勉強なんてテキトーで、試験前にしかしていなかったのに、中3になると一気に受験モードになって、毎日毎日勉強をしていた。
それは、成績を上げたいと思っていたからで、それは憧れの高校に行きたいからだった。
けれど、どうも現実的に考えることができなかった。
なんとなくフワフワしているのだ。
いったこともない海の向こうにあるアメリカに想いを馳せているような、そんな感じ。
こんなに行きたい、と思っているのに、そこに通う先輩たちはどんな人たちなのか、どんな雰囲気があるのか、何も知らなかった。
そんな私に、塾の先生は「学校の雰囲気を知るために、文化祭にいってきらどうか」と勧めてくれた。
そうか、と思った。
それによっては、違う学校を受けたほうがいいかもしれないし、もしかしたらもっと憧れが強くなるかもしれない。
どちらにしても、行きたい学校を明確にするために、そして勉強のモチベーションを上げるためにも、いった方がいいな、とすぐに思った。
そして参加した文化祭。
驚いた。
本当に驚いた。
高校生って、こんなにエネルギーがあるんだ、こんなに楽しめるんだ、と思った。
先輩たちはみんな楽しそうで、笑顔が眩しくて、今にも走り出しそうなくらい元気で。
この人たちの仲間になりたい、と心の底から熱いものがムクムクと立ち上ってくるのがわかる。
もう、この高校に行くしかない、とすら思った。
だから、私は本当に勉強した。
もしかしたら、人生の中で一番勉強をしたかもしれない。
学校の授業でも、塾のテキストを取り出しては、受験勉強をした。
先生の声なんか、聞こえなかった。
だって、私はどうしてもあの高校に行きたいのだから。
目標が決まったら、一気に走り出せるというのは本当だ。
私はこの経験ができて、本当に幸せだと今になって思う。
こんなにも渇望して、こんなにもそれに一直線に走れることなんてそうないのだから。
そうしたくてもできないこともあるのだから。
この無我夢中の私を、学校の先生も、塾の先生も、そして両親も暖かい目で見守ってくれた。
そのおかげで、憧れの高校に入ることができた。
本当に嬉しかった。
合格がわかった瞬間、はじめて嬉し泣きをした。
母も一緒に泣いていた。
そんな親子が、受験番号が書かれた掲示板の前にはわんさかいた。
嬉し泣きをしている人もいれば、悔し泣きをしている人もいた。
そして、私は憧れの高校に入学した。
いつだったか、母とよそよそしく歩いていたあの街に、毎日通うことになったのだ。
真新しい制服を着て、白いルーズソックスをはいて、髪の毛を茶色に染めて、
毎日が楽しくてしょうがなかった。
授業では、みんなの個性が光っていて、先生とのやりとりが楽しかったし、
帰りには友達とたい焼きを食べにいったり、教室でだらだらいろんな話をして。
友達関係で悩んだこともあったのかもしれないけれど、それが思い出せないくらい、楽しい思い出がいっぱい詰まった高校生活だった。
だから、この街が好きなのかもしれない。
たくさんの思い出が詰まったこの街が。
大学生になると、それはそれで楽しくてなかなか埼玉で遊ぶことも少なくなってしまった。
もちろん大切な思い出には変わりないけれども、俊速で過ぎ去っていく日々に必死に追いつこうとしていたと思う。
好きな街である浦和に足を運ぶようになったのは、社会人になってから。
浦和にくると心が落ち着くのがわかる。
それは、海外旅行から帰ってきて、家にかえってきた時の安心感ににている。
私が過ごした高校時代からは、もう10数年たっていて、少しずつ変わっているのだけれども、それでもやっぱり落ち着くのだ。
私はこの街が第二の故郷だと思っていて、だから、いろんな環境が整った時には、浦和に住みたいと思っている。
その日が来ることを、とてもとても楽しみに、そしてその日を迎えられるようにいろいろと準備をしていきたいと思っている。
待ってろ、浦和!