てじーの日記

ていねいなくらしのために、ゆらゆら書きます。

夏です

去年より暑いんじゃないかなぁ、ってくらい汗がドワっと出てくる今日このごろ。

それなのに、帰りみちすがら、歩く練習をしています。

暑い中、背中にリュックを背負って、東陽町から茅場町まで。

だいたい1時間くらいでしょうか。

気分が乗ったら有楽町まで歩いちゃってます。

というのも、10年勤続のご褒美としてリフレッシュ休暇というのがいただけるのですが、

それを利用して9月に東南アジアでバックパッカー的に旅行をする予定なのです。

日ごろ、歩かない。

暑いところ、いかない。

重いリュック、背負わない。

そんな、温室(クーラー効いてるから冷室?)生活をしているので、そんな身体で旅行に行ったらおそらく到着したその日にバテるだろう、そう思ったからです。

 

汗だくになってみるのもいいものだなぁ、と遠い目をしながら思っています。

 

自分から逃げることはやめることにした

私は、自分と向き合うことが、苦手だ。
できることなら、逃げたい。
自分から、逃げ出してしまいたい。

 


「もう一度!」
目の前には、「半紙」とよばれる書道用の紙がふわりと置いてあって、右手には墨汁でヒタヒタになった大筆。
すずりに入った墨汁が、鼻をツンと刺激する。
いや、このすずりからだけではない。
この臭いはもうすでにこの部屋のありとあらゆるものに、染み付いてしまっているように思える。
あぁ、臭い……。
私は、昔からこの臭いが嫌いで嫌いで、仕方がなかった。
「筆持ったら、書く!」
無機質な言葉が、ふたたび響くと、ついさっきまでおとなしかった正座した足が、モザイクをかけられたかのようにムズムズしてきた。
帰りたい。
早く帰って、小学校の友だちとスーファミやりたい。
けれど、ここで筆を置くわけにはいかない。
半紙に筆が落とされるのを、今か、と鋭い目線が見張っているのだ。

 

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生ってやっぱりいい

「生」といっても、ビールではありません。刺身でもありません。

演劇のことです。

演劇は、今まであまり縁がなかったのですが、ひょんな思いつきで演劇を見に行ってきました。

それで、見終わった後におもったのが、「やっぱり生は違うなー」というものでした。

劇を見る5時間くらい前に映画を見ていたから、なおさら、生はいいなーと思ったのかもしれません。

(映画は「パイレーツオブカリビアン」を見ましたが、これもよかった。これはまたの機会に書きます)

 

さて、その演劇なのですが、まず、舞台との距離が近いのが一番の特長です。

肉眼でちゃんと見えるのですよね。

だから、大好きな俳優さんが出ていたりすると、それはそれは興奮します。

(以前、向井理の舞台を見に行ったときは、とても感激しました!)

それに、セリフを間違えたり、アドリブで笑わせてくれたりするんです。

「予定調和」でないところが、いいなー、と。

創られすぎたもの、って人の心にあまり響かないもので。

それは、エレベーターガールの「ありがとうございます」だったり、ショップ店員の「いらっしゃいませー」だったり。

全然心に響かないんですね。

だから、つくられすぎていない、というか少し流動性がある「生」の演劇というのは、

どことなく不安定さがあって、固唾を飲んで見守ってしまう。

 

実は、昨日、その劇を見始めたときは、なかなか入り込めずにいました。

見ながらも、他のことを考えてしまったり、あきらかに気が散っていました。

正直いうと、早く家に帰りたかった。笑

けれど、後半に入ると、ぐいぐい、ぐいぐい、引き込まれていき、それは気持ちだけでなく身体までもが前のめりになるくらいだったのです。

隣に座っているおばちゃんも、大胆に鼻をすすって泣いていましたし、その隣の女性も同じように泣いていました。

もちろん、私も。

悲しいわけでもないのに、泣くのは久しぶりでした。

まさか、こんなに泣くとは思わなかった。

これが、映画だったら、きっと泣いてなかったと思います。

舞台のうえの俳優さんたちの、気持ちがこちらに伝染してきて、そしてとなりに座るひともそのとなりの人も、感動しているのがどこかで伝わってくるからかもしれません。

いやー、こんなにも、感動できると思っていなかった。

これがね、とてもいい話なんです。

「○○くんと目があったー」とか「ラインがきたー」とか、ワーキャー騒いでいるような恋愛も楽しい。

けれど、この劇をみて、付き合ってるとかそうじゃないとか関係なく、もっと深いところで相手を思いやっている、こうゆうのが本当の「愛」というのだな、と思いました。

なにか、あったかいものを心の底で感じたい人に、とてもおすすめです。

 

おススメした演劇:「スロウハイツの神様」(劇団・キャラメルボックス

 

 

 

 

 

ピアノ欲がムクムクしてきやした

直木賞を受賞した「蜜蜂と遠雷」、やばいです。

はじめて恩田陸さんの作品を読んでますが、ほんとに読むのが止まらない。

 

この小説は、ピアノ国際コンクールの話です。

私は小さいころからピアノをやっていました。

コンクールにも何度か出させてもらっています。

(県のコンクールなので、レベルは全然違いますが。笑)

コンクールには出ていたけれど、音大を目指していたけれど、わたしはその頃ピアノがすさまじく嫌いでした。

1人で練習しなければならないこと、自分ととことんむきわなければならないこと、友だちとの遊ぶ時間が少ないことが、本当に嫌で嫌で嫌で、しょうがなかったんです。

もっと遊びたかった。

もっと部活をやりたかった。

もっと、もっと。

普通の中学生活を送りたかった。

だからピアノが好きではありませんでした。

とにかく、「やることになってしまっている」から、ただやっていた。

もちろん、気持ちは入りません。

心から楽しめません。

ただ、練習すればするほど、指だけが早く動くようになって、技術だけがついていく。

それだけで、みんなが「すごいね」って言ってくれる

ただ、それだけで満足してました。

けれど、音楽の本質はそうじゃない。

どんな楽器でもそうだと思うのですが、美しく思う気持ちや楽しむ気持ち、それと技巧があわさってはじめて素敵な音楽を奏でることはできる。

だから、わたしのように気持ちがなく、ただ鍵盤をたたいてるということは、

女優がセリフはちゃんと言えているけど、まったく感情がこもってないのとまったく一緒。

そんなの見てる側にはグッとこない。

視聴率は上がらない。

だから、わたしはいつも先生に、恵さんのピアノはスポーツみたいな音楽ね(要は指は早く動くし、的確だけど、無機質)と言われていました。

そりゃそうです。あたりまえです。

弾いている本人が心から美しいと思ってないのだから。楽しいとおもってないのだから。

そりゃ、聞いている側に何も伝わりません。

 

でも、今だったらちょっとちがうのでは、とこの本を読んで思ってしまったのです。

今だったら、きっとモーツァルトだってベートーベンだって、ショパンだって愛でることができるのではないか、もっと綺麗な音楽を奏でることができるのでは、と。

完全にこの本を読んで、勝手な錯覚を起こしてしまいました。

とんだ勘違い野郎です。

もう何年も、弾いていないくせに何言っちゃってるんだ、と自分でも呆れてしまいます。 

けれど、それが本心なのです。

少し考えてみたら、この気持ちって、ピアノの発表会で1つ上のトモヨちゃんの演奏を聴いた時と同じなんです。

私もあんな風に弾けるようになりたい、次の発表会では私の方がうまく弾けるはずだもん、って思ったあの気持ちと。

とすると、わたしはこの登場人物たちに嫉妬しているかもしれない。

なんだよ、気持ちよさそうに弾きやがって、と嫉妬しているようなのです。

本の中の人に嫉妬しているなんて、わたしは本当にどうかしちゃってるのかもしれません。

けれども、恩田陸は、わたしをそうゆう気持ちにさせてきます。

あのころの、コンクールのステージでの緊張をもう一回味わいたい、と思わせてきます。

 

はぁ、もう、これはやばいです。

実家に帰ったら、きっとすぐにピアノの前に座っていることでしょう。

 

この、コンクールの行方が気になりすぎて、早く先に物語を進めたくて、ランチも1人で食べたい衝動に駆られています。

あぁ、明日はひとりでこっそり抜け出そうかしら、とニヤニヤしながら、これからまた物語の世界に戻ります。

それでは、いってきます。

 

紹介した本

蜜蜂と遠雷恩田陸幻冬舎

 

 

入れなければ、出ない。出なければ、入らない。

呼吸は、吸って、吐く。

ご飯は、食べて、排泄する。

髪の毛は、抜けて、生える。

 

どちらかが止まると、その循環はうまく回らない。

息吸わなければ吐けないし、吐かなければ吸えない。

 

同じことが頭のなかにも言えると思うのです。

インプットしなければ、アウトプットできないし、

アウトプットしなければ、インプットできない。

そんな風にできているんだと思います。

 

今、私は圧倒的にインプットが足りない。

頭が悪いので、思い出も出来事もすぐ忘れてしまう。

頭の中にストックがないのなら、インプットしないと記事を書くことができない。

その極度のインプット不足を痛感している、今日この頃です。

 

毎週5000字の記事提出の締め切りが、土曜23:59。

残念ながら、今日はもう提出が難しそうです。

書いては見たけれど、全然面白くない。

まだまだ、です。

現在、3ヶ月講座を1度修了し、今その2期目を受講中です。

先期は、提出できたのが12回中、たったの3回。

今期は、毎週絶対提出しよう、と決めていたのに。

なのに提出できない。

今、4回中、2回の提出です。

少しは成長していると、褒めつつも、

来週からは、毎週提出します。

絶対に。

下手でも、面白なくてもいいから、とにかく提出する。

ダメ出しされることが怖いからって提出しないのは、もうやめよう。

逃げるのは、もうやめよう。

 

今日は、そんな、宣言でした。

(ひとりごと)

 

 

 

これから書いていこうと思っていること

32年生きてきて、今までたくさんの人と出会ってきました。

そのすべての人が、私の人生を彩ってくれています。

中でも、「この人と出会ってよかった」と思う人が、います。

私は最近、その人との出逢いを、その人の素敵さを、ことばで残したい、と思っているのです。

ずっと思っています。

 

けれど、何度もトライしても、うまく書けない。

思い出が多く、想いが強い分、なかなか文章にするのが難しいのです。

たぶん、文字にして残すからこそ、大事に言葉を、エピソードを、選んでいきたいからかもしれません。

いつか、文章でいろんな人に「私の大事な人」を伝えたい、そう思っています。

 

父の言葉は、人生の道しるべ

「頑張らなくていい」

父は、そう言った。
私が社会人になって1年経ったか経たないかくらいの時のことだ。
慣れない営業の仕事に毎日奔走し、どんなに頑張っても成果がほとんど出ない日々だった。
とてもじゃないが順調とは言えない、それまで味わったことのないくらい苦しい毎日。
正直、突破口がなかなか見つからず、途方に暮れていた。
そんな私に、父はこう続けた。
「その代わり、精一杯やりなさい」
はて、一体どういう意味なんだ?
理解力に乏しい私には、まるで意味が分からなかった。
だって、「頑張らなくていい」のに「精一杯やれ」って、矛盾してないか?
「頑張る」と「精一杯やる」は、ほぼイコールでしょ?

 国立大学の理系学部を卒業して、会社で技術職を務める父は、いつも言うことが何かと難しいのだ。
いつもだったら「あぁ、また始まった」と軽く受け流していただろう。
けれどこの時は、違った。

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父の言葉は、人生の道しるべ《プロフェッショナル・ゼミ》 - 天狼院書店