ぱんこの日記

ていねいなくらしのために、ゆらゆら書きます。

これから書いていこうと思っていること

32年生きてきて、今までたくさんの人と出会ってきました。

そのすべての人が、私の人生を彩ってくれています。

中でも、「この人と出会ってよかった」と思う人が、います。

私は最近、その人との出逢いを、その人の素敵さを、ことばで残したい、と思っているのです。

ずっと思っています。

 

けれど、何度もトライしても、うまく書けない。

思い出が多く、想いが強い分、なかなか文章にするのが難しいのです。

たぶん、文字にして残すからこそ、大事に言葉を、エピソードを、選んでいきたいからかもしれません。

いつか、文章でいろんな人に「私の大事な人」を伝えたい、そう思っています。

 

父の言葉は、人生の道しるべ

「頑張らなくていい」

父は、そう言った。
私が社会人になって1年経ったか経たないかくらいの時のことだ。
慣れない営業の仕事に毎日奔走し、どんなに頑張っても成果がほとんど出ない日々だった。
とてもじゃないが順調とは言えない、それまで味わったことのないくらい苦しい毎日。
正直、突破口がなかなか見つからず、途方に暮れていた。
そんな私に、父はこう続けた。
「その代わり、精一杯やりなさい」
はて、一体どういう意味なんだ?
理解力に乏しい私には、まるで意味が分からなかった。
だって、「頑張らなくていい」のに「精一杯やれ」って、矛盾してないか?
「頑張る」と「精一杯やる」は、ほぼイコールでしょ?

 国立大学の理系学部を卒業して、会社で技術職を務める父は、いつも言うことが何かと難しいのだ。
いつもだったら「あぁ、また始まった」と軽く受け流していただろう。
けれどこの時は、違った。

(続きはこちらから↓↓)

父の言葉は、人生の道しるべ《プロフェッショナル・ゼミ》 - 天狼院書店

じぶんの成長がわかるとやる気がでるものです

今の会社に入社して、ついに10年が経ちました。

最初の6年は営業職。

そのあとは、企画の仕事をしています。

企画に異動してからは、「カタログ制作」に携わるようになりました。

これがとても楽しい。

どんな紙面にするか企画し、掲載内容を決めていく。

そして、事例のご紹介をすべく、導入したお客様に取材をし、それを紙面にまとめます。

取材自体は、私も行うのですが、記事にまとめるのはライターさん。

撮影するのは、カメラマンさん。

お客様への取材はだいたい1時間で、「いったいこれがどのように記事になるのだろう」「多くの質疑応答からどこを切り取り、編集するのだろう」と、

興味深々でした。

出来上がったものを確認すると、そこはさすがプロ。

とてもいい感じに仕上げてくれるのです。(仕事なので当然ですが)

このとき私は、その「仕事」に、たちまち魅せられてしまいました。

お客様にビフォアアフターを聞いて、新しい取り組みを聞いて、それを多くの人に伝えるなんて、素敵な仕事だな、と。

そして何より、取材をすること自体がとてつもなく楽しかった。

この仕事が毎日だったらどんなに楽しいだろう、そう思うようになりました。

カタログをつくるのは2年に1回。

しかも1つのカタログを作るのに、取材先は多くても20くらい。

3か月もあれば終わってしまいます。

いや、これだけじゃ足りない。もっと、もっと携わりたい、と欲がでてきたのです。

しぜんと、ライターという仕事に興味が湧いて、もうそれがやりたくて仕方がなくなりました。

ただ、私は、記事を書けない。

文章が書けない。

勉強したいなー、とばくぜんと思っていたのが2014年。

この時、手始めに、とブログを始めていました。(このブログとは別です)

ふと、そのことを思いだして、パスワードを何度か間違えてから、やっとログインできました。

ただ、開いてびっくり。

たった2つの記事しかアップされていない!

そして、読んで呆然。 

うん……、これじゃあ、ライターはムリだな。

分かりにくい。

文章がカチコチに固くって、とてつもなく分かりにくい。

 

 

2年が経った今、読み返してみたら、ちょっとだけ成長を感じることができました。

その2つの記事は、とてつもなく稚拙な文章だけれど、

私にとっては、とてつもなく貴重な記事になりました。

なぜなら、自分の成長を少しでも感じることができたから。

いやー、なにごともビフォアーアフターって、あるといいもんですね。

 

 

もしかして、この記事もまた2年後に読んだときに、「げっ」と思うのでしょうか。

そう思えるくらい、成長できるようにこれからコツコツ書いていこうと思いましたのです。

 

人の興味をそそるもの

人それぞれ、興味を持つものはバラバラだと思います。

バイクが好きな人もいれば、虫コレクターがいたり、アニメやアイドルなどが好きなヲタクもいらっしゃいます。(あれ、なぜこの3つを抽出したのだろう。笑)

ひとそれぞれ、好きなものは違うのです。

けれども、ほぼ大多数の人が興味を持つものがあります。

本能的になのか、共通嗜好なのか、わかりませんが、みんなが好むジャンルというのがあるのです。

それは、「恋愛」、あとは「ミステリー」。

今までそんなこと気づきもしませんでしたし、考えたこともありませんでした。

でも考えてみると、恋愛だと、

ドラマで人気があるのはやっぱり月9だし(ロングバケーションとか)、

ドキュメンタリーでも、「あいのり」とか「テラスハウス」が人気。

一方、ミステリー系というと、

東野圭吾は不動の人気で、出せば売れますし、

ドラマでは、火サスが、途切れることなく今でも続いていることで、よく分かると思います。

もちろん、それぞれのコンテンツが面白く編集されている、ということもあると思います。

けれど根本的にそのジャンルが好きでなければ、だれも興味を持つことはありえない。

だって、「ゴキブリの生体を解明」みたいな映画とかって、どんなに面白く作られていてもぜったい誰も見たくないでしょ。

 

恋愛、ミステリーが、「ドキドキさせる」ものだから、というのも理由かもしれないけれど、根本的にみんな関心を持ってしまうのだと思います。

私は、今ライティングの勉強をしていまして、記事をWEBに載せていただけるよう、もがき苦しみながら毎週課題を提出しています。

そして、WEB掲載された記事のクリック数が、ランキングとして発表されて、その順位による点数で競っています。

だいたい、そのランキング上位にくるのが、「恋愛(エロ含む)」か「ミステリー(死だけではなく広い意味で)」。

これ、もちろん記事の面白さが前提ではあるのですが、記事の題名がそれっぽく醸しているものは必ず上位にランクインされていることに気付きました。

それゆえ、必ずしも講師の評価とランキングが連動しないのです。

 

私は、恋愛も(エロも)、ましてやミステリーも書けません。

書けたら楽しいだろうなーとも思うので、挑戦してみようかな、と思っています。

もうすでにネタ探しに苦戦するだろうことが、ありありと想像されますが。

ですが。

練習として、初恋の思い出から書いてみようかなーと思ってます!

ボツるかもしれないですが、とりあえず、なにごともチャレンジです。

いやーしかし、

初恋を思い出しただけで、、すでに恥ずかしいわー。笑

 

考える時に、コトバで考える?イメージで考える?

突然ですが、私は、独り言が多い。

人並み外れて、多い。

オフィスにいるときも、一人で家にいるときも、誰に話すでもなく、つぶやく。

しかも、恥ずかしながら、年齢を重ねれれば重なれるほど、多くなっていると思うのです。

こりゃいかん、と思いながらも、今日もコツコツと独り言を重ねています。

その独り言。

「あ、忘れた!」くらいなら可愛いものですが、

こないだ無意識に、「あいつ、舐めてやがんな」とつぶやいていました。

ひー。お口が悪い。そんな自分が怖いです。

そして、独り言は無意識かつ本音なことが多いから、本当に気を付けなければいかんな、と最近は危機感すら覚えている次第です。

 

そんなこんなを考えていた時、「考えるときに、イメージで考える人」がいるということを知りました。

イメージで考える?

はて、どうゆうことなのだろう。

私は、常々、頭のなかでも「言葉」で考えています。

「今日何たべよっかなー。やっぱクリームパンかなー」とか自問自答をしながら生きています。

しかし、世の中には、頭の中に「言葉」がない人がいるというのです。

頭の中にはイメージ(映像?)があって、人とコミュニケーションを取ると時に、

それを言語化するとのこと。

まったくもってどうやってその技を成し遂げているのか、分かりません。

(ちょっと試しに、イメージで考えようとしてみたのですが、まったくできませんでした)

その人たちのことを勝手に考えてみたのですが、もしかしたらイメージで考える人って、もしかしたらアーティスティックなのかもしれないよなー、と思うのです。

例えば、絵。

絵がうまいひとは、モノの形をイメージで記憶できているといいます。

私はいたって絵が下手なのですが、モノをまったくイメージで覚えられていない。

のび太書いて」と言われても、書けないのです。

逆立ちしても無理です。

(逆立ちしたら、誰でも無理だけど)

なぜなら、イメージ(モノの形)を鮮明に覚えていないから。

もちろん、のび太をみれば「あ、のび太だ」と認識することはできます。

(これまた当たり前)

 

ただ、私の周りに、イメージで考えているよー、と言っているひとはいないので、この仮説が正しいかはわかりません。

もし、周りにそうゆう人がいたら是非「絵が上手か」、聞いてみてほしい。

いやー、きっとうまいんだろうなー、と何の根拠もないですが、私はつよく確信しています。

 

そして、イメージで考えるひとは、独り言をしないのだそう。

そもそも、考えているときに言葉を使っていないから、独り言はできないんですって。

それってオトク!

羨ましい!

そうと知ると、もう「イメージで考える人」がかっこいい存在のなにものでもなく、そうなりたい、と今は羨望の眼差しでおります。

ということで、イメージで考えることをこれから毎日練習していこうと思います。

でもさ、これ、どうやって考えるんだ?

ただの「無」になりゃしないか?

あー、誰か教えてほしい。

どうやっているんですかー?

「イメージ思考」の教室があればなー。

聞いたことないですけど。

ということで、独り言が多くてお悩みのひとは、是非、試してみてくださいね。

 

不良少年が10年後に教えてくれたこと

「人生の中で、暗黒時代っていつ?」
あまりこう聞かれることもないけれど、もし聞かれたら、私は迷わず「中学時代」と答える。
決して、友だちがいなかったわけでも、いじめられていたわけでも、成績が学年400人中最下位だったわけでもない。
人並みに楽しかった思い出もあるし、可愛らしい恋の思い出もある。
一生モノと思える友だちもできた。
「それなり」に楽しく学校生活を送っていたと思う。
それでも、あの中学時代にだけは戻りたくない、と思う。
だって、あいつらがいたから。
奴らと分かり合うことなんて絶対ない、別世界の人間だ、と思っていた。
なのに、奴らに大事なことを教えてもらうことになるなんて。
そんな時がくるなんて思ってもみなかった。

<続きはこちらから↓>

http://tenro-in.com/mediagp/37333

※天狼院書店のWEBに掲載していただきました!よかったらお読みください!

非日常なときに気がつく大事なこと

 

出社したときはいつもと何ら変わりなかった。しかし、10時をすぎると、いつもの大きな声が出せない。仕方なく小さい声で、研修中の新入社員に指示を出す。おかしいな、ちょっと疲れてて元気がないのかしら、なんてのんきに思っていた。

11時。後輩と打ち合わせ中、腰のあたりが痛くなってきて、いよいよおかしいのではと思うようになった。そして、悪寒を感じる。やばい、熱が出るのは確実かもしれない。しかし、このタイミングで会社を抜け出すわけにはいかなかった。というのも、この日が新入社員研修の担当としての最後の日だったから。この日の午後は、「最後」にふさわしい話を新入社員に向けてしたいと思っていたのだ。この1ヶ月超、きつめに指導したこともあったけれど、「応援している」「期待している」「これから頑張ろう」とエールを送りたかった。

なのに、なのに、なんてこった。タイミングが悪すぎる。いつも私はこうなのだ。

少しくらい無理がきくのだったら、新入社員を優先していた。しかし、この時かなりの危機感があった。それはもう、お尻に時限爆弾が仕掛けられていてあと30分後に爆発するのではないかというくらいに。

あぁ、これは敗北だ。この状況にあがらうことはできまい。完全降伏をした私は、午後の研修は後輩に引き継ぎ、ノロノロと会社を後にした。

それから、予想通りに高熱が出て、何もできなくなった。腑抜けになってしまった。寝ることもままならない。点滴をしても少しも回復しない。解熱剤を飲んでも熱が下がらない。現代医学によって処方された薬が効かないなんて、すがる藁がない状況だ。あぁ、なんてこった。

そして、重ね重ねタイミングが悪いことに、翌日からは3日間の大阪出張の予定だった。

どうしてくれるんだ、本当に。マイボディよ、どうしたんだ。今まで無理させていたから叛逆をしているのか。それなら謝るから、だからさ、どうにか回復しておくれよ。そんな声は届くはずもなく、大阪行きも断念することになった。

精神的にも身体的にも絶望的だった。そんな時、1通のメールが届く。研修を引き継いでくれた後輩からだった。それは、意外にも新入社員からの伝言を伝えてくれるものだった。

そこには、「お大事にとお伝え下さい」「私たちに(てじー)さんのために何かできることないでしょうか」と書かれていた。

その気持ちが嬉しかった。少し泣いた。ありがとう。

そして、次は上司のブチョーからメールがきた。仕事の話か、はぁ、と思っていたら、意外にも「忙しいの続いてたもんな。いつも色々とありがとう」とあった。え……いつもそんなこと言わないじゃないですか。どうしたんすか。呆然とした。でも嬉しくて、これまた泣いた。

そしてそして、大阪からメールが。「(てじー)さんに会えなくて残念がってましたよ」と写真付きで送られてきた。そこには、2、3年前に新入社員研修で教えていた子たちが写っていた。メールを送ってくれた子も、社交辞令でも残念がってくれた子も、ありがとう。

人と人がつながっていると思えるこの感覚、本当に好き。私はこの人たちに支えてもらって生きているんだな、と思えるこの感覚がすごく好き。いつも当たり前だと思っていることが、非日常になると突然輝いて見える。日常からいつもそれに気づいていたい、大事にしていたい、そう思う。

 

まだまだ寝ていないといけないのだけれど、ちょっと感極まってしまって、この感謝を残しておきたくて書きなぐってみました。

さぁ、それではまた寝ます。