ぱんこの日記

ていねいなくらしのために、ゆらゆら書きます。

過去と向き合うこと、そして今を生きること

「言葉を大事にしたい」という思いから文章を書く勉強を始めました。

 

私自身、ずっと言葉を大事にできていないと思っていたのです。

本当はずっと前から、それに気づいていました。

けれど、見て見ぬふりをしていました。

なにか思いついたら、すぐに言葉にしてしまう。

頭と言葉が直結しすぎていました。

友だちとの会話では、誰よりも先に笑わせられるようなことを言いたいがばかりに、前のめりになって話をしてしまう。

瞬発的に言葉を発することが習慣になっていました。

 

だからか、人から「軽い」と言れたり、「本当に思っているのか」と言われることが多かったのです。

それが、少しだけコンプレックスでした。

母親から「言葉は消しゴムでは消せないからね、気をつけなさい」と何度も言われて育ってきました。

それなのに、私はそれをしっかり理解することなく、言葉を軽く扱ってきていました。

 

言葉を大事にしよう、とした途端、自然と言葉が出てこなくなりました。

人と話していても、言葉が出てこない。

怖くなったのです。

この言葉は、私の口から放たれた途端、もうそれは私のものではなくなり、相手のものになってしまう。

相手のフィルターを通して理解されてしまう。

怖い。

 

そんな時、文章を書くことで、自分の考えていることを整理できるようになってきました。

それは同時に、自分と向きあうことでもあります。

書くというのは、過去の自分と向き合うことになるのです。

あぁ、あの時、こう考えていて、こうしたかったんだな~、とか。

あの時の経験がいまだに自分の心の中には残っていて、消化できていなかったんだな、とか。

 

そして、その過去を見つめていると、だんだんと「これからどうしたいか」にも目が行くようになりました。

自然と自分の心の底の願望をしっかりと受け止められるようになってきたのです。

 

だからどうだ、というのはありません。

他の人からみたら、こうして文章を書いていること自体は、ただの自己満足にしか見えないと思います。

はい、私もそう思います。

けれど、こうして文字にしていくことで、何かが生まれるのは確かなのです。

 

何を書こう、何か書きたい。でも何について? 

考えるだけで、実は苦しい。

でも書かないと、私は今、前に進めなくなっています。

言葉は、とてもすごい力を持っています。

これからは、大事に大事にしていきたいと思います。

 

 

趣味の遍歴①(社会人編)

「それでは、自己紹介をお願いします。名前、所属、趣味、一言を言ってください」

名前、よし。

所属、よし。

趣味、……うーん。何言おう。

 

私はいつもこうだった。趣味が、ない。思いつかない。趣味って、なんだろう。

映画かな。でも、人に語れるほど見てないし、映画みたらだいたいすぐ忘れちゃうしなぁ。好きな映画なんですか、って聞かれたら困る。語れない。うん、却下。

じゃあ、散歩か? たしかに休日ゆっくり歩くことは好きだ。電車に乗らずに1時間くらいかけてあるくこともある。でも、これって趣味っていっていいのか? ただ歩くのが好きって、呼吸するのが好きって言ってるくらい当たり前のことじゃないか? そんなの堂々と「趣味」としてしまうのは、気が引ける。

 

あぁぁぁぁ、困った……。

 

私は趣味が欲しかった。自己紹介の時のためだけではない。休日をもっと充実させたかった。自分のアイデンティティを持ちたかった。趣味はヨガですとか、料理ですとか、言えちゃう人がうらやましかった。それだけで、立派な人に見えたし、キラキラして、堂々としているように見えた。今思えば、どれだけ卑屈だよ、と思うけれど、そう思ってしまっていた。

 

だから、何かと手を出しては、引っ込めるということを数年続けたのだ。

 

いつだかの正月休み。大学からの親友から連絡がきた。

「めぐ、タヒチアンダンスやってみない? 体験授業が1000円でできるよ~」

タ、タヒチアンダンス? 何それ! まったく想像つかないんですけど! なぜ急にタヒチアン? しかも正月に……。まだ、日本舞踊なら納得できた。だって気分は、もろ「日本」だから。寒い寒いお正月。それなのに、なぜ、南国タヒチ! よく分からない……。

けれど、すぐにスマホで調べてみたら、南国タヒチの肌の黒い女性が腰にワラみたいなものを巻いて踊っている写真を見つけた。

ほほぅ。これがタヒチアン……。うん、悪くないかもしれない。もしかしたら、ダイエットになるかもしれないし、もしかしたらもしかしたら、妖艶な女性になれるかもしれない。そう、私は、「女性らしさ」や「色気」を常日頃から欲しいと思っていたのだ。これはちょうどいいかもしれない!

「うん! やりたい!」

単純にも、すぐにこう返事を送っていた。

 

たしか1月8日とかそのくらいだったと思う。私たちアラサー女子2人は、池袋のタヒチアンダンス教室にいた。

トコトコトコトコトコ……早いリズムで響き渡る、太鼓の音。

その音に合わせて、腰をぐるぐる回して、前や後ろに移動する。

 

前面鏡ばりのスタジオには、カラフルでオシャレなパレオを巻いた、生き生きした女性たちが10人ほど。

先生は鏡に一番近いところで、おへそを出してこれまた「タヒチから抜け出てきました!」と言わんばかりのタヒチアンスタイル。黒いロングの髪にで、どことなく肌も黒く見えた。

鏡に一番小さく映る私たちは、もじもじして頼りなく、2人だけ異空間にいるようだった。だって、なんでもないティシャツに、受付で借りた、単色でオシャレでもなんでもないパレオを腰に巻き、ビジター臭をプンプンに放っていたのだから。

 

はい、タイリ〜!!!

 

腰を動かしながら、先生が次の腰の動きの指示を出す。タイリとは正式には、タイリタマウ。上半身は立てたまま、腰を落とし、左右に振る動きのことだ。

 

ゴキ、ゴキ、ゴキ。

 

私のなまった腰は、変な音を立てる。うわ、これ、すごいな。腰のフル稼働だ。いい運動になるかもしれない。この原始的な太鼓のリズムもなかなか心地いい。これはいいかもしれない。

 

はい、ファーラップーーー!!!!

 

先生の指示は止まらない。これは、とにかく早く腰を回し続ける。つ、ついていけない。これは初心者にはきついな。

 

でも、終わった後の爽快感たるや、素晴らしかった!  汗をかき、一曲を踊り終えた後の笑い声、そしてなにより達成感!!!  

やってみたい、これはやってみよう!  

レッスンが終わると、すぐ受付に立ち寄り、契約を済ませていた。

(誘ってくれて親友は、残念ながら脱落してしまったけれど)

 

ということで、ここから一年ほど、タヒチアンダンスにのめり込むわけなのだが、一通り踊れるようになったことと、発表会の衣装だけで5万近くかかることを理由に、辞めてしまった。

 

しかし、社会人になってからの初めての習い事。とても充実していた。お友達もできて、一緒にご飯を食べたり、振りについて語り合ったり、今までにない環境だった。

 

あぁ、習い事って、趣味っていいものだな、と改めて思えた1年間のタヒチアンライフ。ただ、なぜか、この習い事を堂々と言うのは憚られた。たぶん、自分にはタヒチアン要素が少ないと自覚していたからだろう。

 

ともあれ、趣味っていいものだなと実感した私は、次の趣味を見つける旅に出かけることとした。

 

 

 

配信の陣

めぐは、うまいよね〜。人にやってもらったり、甘えるのが。

こう、よく言われる。あれ、見抜かれていたか。そりゃそうか。

 

私は、怠け者だ。どこかサボれるところがないかと、いつも目を見張っている。サークルでもバイトでも、仕事でも、楽できて、かつちゃんとやってるように見える「しごと」を探している。もし、それが運悪く見つからなかったなら、だれかにそれとなくお願いをする。だって、私よりうまい人にやってもらったほうが誰にとっても徳でしょ、としごく自分勝手な思考をしている。やらざるを得ない状況にならないと力を出さないこんな自分と30年以上一緒に生きていると、その性格は嫌という程わかっている。だから、決めたのだ。もう逃れられない状況に追い込むことに。そう、いわば背信の陣だ。 

 

12月から始めたライティング・ゼミ。週一回2000字の記事を提出している。最初は絶対毎回出すと、鼻息が荒かった。仕事そっちのけで、次に何を書こうか探す毎日。しかし、それはずっとは続かない。なかなか書きたいことが見つからないのだ。だんだん、提出を見送る週が増えていく。あれほどやるって決めたのに、またか。いとも簡単に自分を裏切っていることが、本当に許せない。ゆったりやればいい、そうも思う。けれど、私はもっと言葉を通してなにかを人に伝えられるようになりたいのだ。暖かい気持ちになったり、明るい気持ちになったりさせることのできる文章を書きたいのだ。理由はない。ただただそう思っている。

 

軽い気持ちで受けた、プロを目指すライティングプロフェッショナルゼミに受かった。月3万の出費だ。小説家になりたいわけでもない、ライターになりたいわけでもないのに入ってもいいものか。それよりなにより、素晴らしい文章を書く、憧れの人たちについていけるだろうか。2000字でもひぃひぃ言っている私が、毎週5000字を書けるのだろうか。不安だった。

 

けれど、せっかくのチャンス。誰もが受けれるわけではないゼミ。ダメでもいい。このチャンスに乗っかってみよう。あの憧れの人たちと同じステージに立ってみたい。ただそれだけの気持ちだけれど、この気持ちを大事にして突き進んでみよう、そう決めた。

 

初めての授業は、久々に緊張してドキドキした。濃い。すごく濃い。内容も、受けている人も。とてもいい雰囲気のこのクラスにいれることが幸せだと思った。

 

とにかく書いてください。プロになるにはプロ以上にやらないと。

 

本気だ。この人たちは本気なんだ。軽い気持ちで入ってしまった自分を恥じた。私も本気で、本気になろう。

 

ということで、背水の陣として入ったプロフェッショナルゼミ。これから、配信の陣でやっていこうと思います。書いている内容も、構成もまだまだですが、これから、書いて書いて、書いていきます!

 

1日に1記事を目標とします!

まずは、質より量!!!

 

 

キヨおばあちゃんから学んだこと

「もう一週間終わったのか……」

年を重ねると、あっという間に時間がすぎるとは言うけれど、本当にそうだなぁと最近つくづく思う。体感的に言うと、一日が半日くらいに感じる。一週間は3日くらい。あれ? 計算合わないかもしれないけれど、でも、本当にそんな感じがする。この調子でいったら、すぐにおばあちゃんになっちゃいそうだ。私は、時間を大切にできているのだろうか。仕事と家の往復することを毎日毎日くりかえしているけれど、ちゃんと「今」を大事にできているのだろうか。それに、こんな毎日を送っていて、私はキヨさんに少しは近づけているのだろうか。私の憧れの女性、キヨさん。私のおばあちゃんだ。

 

キヨさんは、いつもニコニコしている。あたたかくて、ころころした笑顔だ。いつも「めぐさん」と優しい声で、話かけてくれる。私たち家族は埼玉で、キヨさんは福岡。だから、本当に残念なことに、小さいころから数えても片手で足りるほどしか会っていない。

 

そんなキヨさんが、1か月ほど我が家に滞在することがあった。あれは、私が大学生のころだから、もう10年以上前のことだ。

もともと私は、大学の授業・サークルやバイトとなぜか忙しくせわしない生活をしていた。それに加えて、大学まで片道約2時間かけて通っていたので、帰りはいつも遅かった。けれどキヨさんはそんな私の帰りをできる限り待っていてくれていた。

 

ただいま~!

めぐさんおかえり。寒かったやろ。

 

何気ないこんな会話も、私にとって幸せそのものだった。あたたかい会話。もっと一緒にいたかった。もっと話をしたかった。それなのに、私はもともとの「せわしない生活」を変えることができなかった。大学の授業も、サークルも楽しくて、友だちとの時間を優先した。もし今その時に戻れるなら、キヨさんとの時間をとるのに……。

知的なキヨさんは、なにごとにも好奇心が旺盛だった。私が毎週楽しみにしている「花盛りの君たちへ」というドラマを一緒にみては、よく分からないシーンでケラケラ笑っていた。あれは、何がおもしろかったのかな。聞きたい……。ねぇ、ばあちゃん、あれは何が面白かったの?

 

よくばあちゃんは私に、こういった。

めぐさんは、よかねぇ。これからの日本を見られるけん。これからどんな世の中になっていくんか、楽しみやねぇ。

もう80歳をゆうに過ぎているのに、世の中に対する意見をしっかり持っている人だった。これはこうやろな~、と誰に言うでもなく新聞を読みながら小さな声でつぶやいているのを聞いたことがある。笑顔の裏で、いろいろなことを考えているんだなぁ。すごいなぁばあちゃんは。優しくてあったかくて、でも博識で好奇心が旺盛で。あぁ、私はこんな人になりたい、とそのときじんわりと思った。

 

それから、8年後、私は仕事で福岡を訪問する機会があった。ばあちゃんは、福岡県宗像市の高齢者施設に入っていた。どんなに時間が少なくても、一目キヨさんに会いに行こうと決めた。

ばあちゃんには知らせない、サプライズ訪問。

私のこと、覚えているかな。分かるかな。どんな反応するかな。ドキドキしながら、ばあちゃんの部屋に向かった。

 

おそるおそる部屋に入ると、小さくなった、本当に小さくてか弱いキヨさんがベッドに横たわっていた。消えそうなくらい、か弱い。かわいそうに……。

 

私に気付くと、「めぐ……さん……?」

そうだよ、めぐだよ。ばあちゃん元気だったね。

 

とっさに、手を握った。ばあちゃんは、泣いていた。泣いて喜んでくれた。私も嬉しいよ、ばあちゃん。元気でよかった……、ずっとずっとここにいたいよ……。

 

めぐさんは、よかねぇ。これからの日本を見られるけん。これからどんな世の中になっていんか、楽しみやねぇ。

 

まただ。こんなにもう弱っているのに。またそう言っている。涙を流しながら。切に思っているんだ……。ばあちゃん、私も見せてあげたかったよ……。

 

私は、ばあちゃん孝行らしいことは、なにもできなかった。あんなに時間はあったのに。ばあちゃんとの時間は、限られていたのに。とても貴重なものだったのに。それに大学生の時の私は全く気付いていなかった。なにやってんだ、私は。

でも、あの1か月の生活も、社会人になってから会った少しの時間も、私の心にしっかりと刻まれている。私は、キヨさんみたいになりたい。そうだ、そうだった。

 

時間は限られている。それは、みんな平等だ。大切な時間を何に使うか、もっとちゃんと考えていこう。キヨさん、私はキヨさんみたいな女性を目指して、これからがんばっていくよ。

だから、キヨさん、上からちゃんと見ていてね。

休日出勤もこれがあれば帳消しになるという話

休日出勤。もう、その言葉を聞いただけで、ダメージをくらう。休日は休むためにあるのに。平日一生けん命に働いたのに、また働くんかい。なにより、5日以上連勤することへの身体の消耗が激しい。夜6時ごろに帰れる時期はいい。しかし、たいてい休日出勤というのは、忙しいとき、つまり帰りが21時22時になるときに発生するのだから、もうたまらないのである。

昨日は、そんな休日出勤だった。この一週間疲れていたらしく、朝いつもはスっと起きてくれるのに、この日はヌメヌメな起床。集合時間ギリギリの出発だ。外は休日の朝らしく、家を出ると人もまばらだったことが助かった。猛ダッシュ。人目がないのをいいことに、32歳女、走る。走る。走る。とにかくものすごい勢いで走り抜けた。遅刻か、遅刻でないか、の綱渡り。電車の中で、気だけが仕事現場の会場に着きそうになるくらいだった。しかしながら、ぎりぎり遅刻での到着だった。あぁ、最悪だ。なにやってんだ。休日出勤のうえ、遅刻だなんて。とにかく挽回するため、到着して早々に、接客を開始。気持を切り替えるために、ひたすら当社ブースに訪れるお客様にくるったように声をかけ、帳消しにしようとした。いや、もちろん、この事実は帳消しにはならないのだけれど。

と、あまりいいとは言えない休日のスタートを切ったわけですが、結果的にいうと、この日はとても最高な1日だった。

天気もいい。花粉はたくさん飛んでいるけれど、太陽さんさんでうららかだ。もう春も近いと感じられることも気分を上げてくれた。仕事が終わり、一緒に出勤していた普段から仲の良い同僚と、代々木公園を左目にとらえながら目的地に向かう。

道すがら、すれ違う犬連れの方々。犬も雑種とかではなく、とてもきれいな犬で、飼い主もどことなく身なりがきれいな人が多い。意外と、代々木というのは、セレブの街らしい。

あ、あれかな? うん、あれみたいだね。

私たちが目指していた店は、一目で分かった。なんせ、15時にもかかわらず行列ができていたのだから。そこは、パン屋さん。いろんな雑誌やサイトで取り上げられている有名店だ。行ってみたいと心のどこかで思っていながら、なかなかチャンスがなかった。たまたま仕事の現場から近いとあって、休日出勤後の行先はすんなりその店に決定した。

10分くらい待っただろうか。あれやこれやと話していたので、あっという間だった。店に入ると、ほんわり温かい匂いに包まれる。あぁ、なんて幸せな空間。ずっとここにいたい。ずっとパンたちをみていたい。どうしてもにやにやが止まらない。もはや、変態だ。店員さん、変態がパンを買おうとしていますよ。食パンは割と小ぶりだけれど凛としていて美しいし、チョコクロッカンというパンも小ぶりだけれどお行儀よく丸い小さなチョコがパンの切れ込みに並んでいて可愛い。それに、白あんこのあんぱんも、控え目にコロっと丸まっていて素敵だ。もう、もう、ここはパラダイスだ。楽園だ。

これもかわいいね。あれもおいしそう。

同僚とはしゃぎまくって、気がづいたら、手元のトレイにはパンがぎっしり並べられていた。1人暮らしなのに、バカだ。ほら、でも、今は冷凍という技術があるからね。と自分に言い聞かせて、2000円弱分のパンを購入した。

はぁ、なんだこの満足感は。なんなんだ。さっきまで仕事をしていたことなんて、とっくのとうのことのように忘れていた。

よし、次は姉妹店に行こう。そこは、パン屋さんと提携しているお店で、ランチを営業している。腹ペコの私たちの足は、自然と急ぐ。30秒くらい歩くとすぐにあった。なんてオシャレなお店。自然と期待が高まる。大きな木のドアを開けると、紺と白のボーダーのシャツを着た店員さんたちがこちらを振り向く。おいしそうなコーヒーの匂いが店全体に漂っている。

いらっしゃいませ。トイレが故障しているので使えませんが大丈夫ですか?

え、第一声がその宣誓ですか。全然かまいません。そんなの全然問題ございません。ということで、着席。メニューは、ハンバーガーやサンドイッチがメイン。私たちは、迷わずハンバーガーを注文した。

もしかしたら、今まで食べたハンバーガーの中で一番おいしいかもしれない。いや、確実にそうだ。1000円を超える高級なハンバーガーというのは、たいてい大きくて、棒みたいのが真ん中で貫通していて、お口のサイズよりもハンバーガーの縦幅が大きいので、結局はバラバラに食べざるを得ない。要は、ハーモニーを楽しめないものが多い。しかし、ここはというと一口でパクっといけるサイズ。お肉とパンと葉野菜を一気に楽しめる。あぁ、美味しい。お肉が、コリコリ。パンは、サクサク。なんと、まぁ……。言葉になりません。語彙力がなくて、伝えられないのがもどかしい。気になった方は是非行ってみてください。

 

代々木公園駅

「365日」(パン屋)

「15℃」(365日の姉妹店、ハンバーガーサンドイッチのお店)

f:id:tezzy:20170305093732j:image

 f:id:tezzy:20170305093745j:image

↑写真、へたで、すみません。

 

あぁ、このお店に来れてよかった。どのお店に入るか、何をたべるのかで気分は変わるものですね。そしてなにより、誰と行くかですな!(ざわちん、楽しい会話をありがとう!  しっかし、話し出すと止まりませんなぁ)

 

さぁ、今日は完全な休日! 楽しみましょう!

大人の「卒業」っていいものかもしれない

「大人には、テストも卒業もないからいいよねー」

いつだったか、父にこう言ったことがある。たしか高校の時だったと思う。その時は、学期ごとの中間試験や期末試験に追われていて、なんで定期的に学力を判断されて、順位までつけられて、それに苦しまなければならないのだろう、と真剣に思った。卒業だって、3年、4年、6年経ったら自動的にやってくる。それも、こちらの本意ではない。やっと心打ち解けて、いろんな思い出を作ってきたのに。どうして離れなければならないんだろう。慣れ親しんだ友だちと離れるのはどんなときでもいやだった。

父は、ちょっと考えて微笑みながらこう答えた。

「そうだね、たしかに大人になったらテストも卒業もないけどね、毎日が試験で卒業は自分で決めていかなければならないんだよ」

毎日が試験? え、どうゆうこと? うちの父は家では仕事はしなかったし、私の見える範囲では勉強をしているようには思えなかった。意味がわからない。それに、大人になってからの卒業って何? 一生同じ会社に行くんでしょ。何言ってんだかよくわからない。でも、ま、いっか。その言葉はそのままスルーした。

 

けれど、自分が社会人になってみると、この言葉が肌身を通してよく分かる。分かりたくなくても分かってしまう。1つの言動、1つの文書、1つのプロジェクト、どんな些細なこともこれらが積み重なって自分への評価につながるし、「卒業」は自分で決めていかなければならない。どのポイントまでいったら、次のステップに進むか。学校のように「はい、あなたもう次のステージですよ」というような自動的なものではない。今までの学校教育の卒業が「受動的」だとしたら、これからの卒業は「能動的」なのだ。自分で決めなければいけない。

 

社会人になってから、大きな卒業を一度経験した。それは、とても大きな決断だった。そのときは自分にとって、この卒業がいいことだったのか分からなかった。怖かった。だけど、今ならその答えが分かる。

 

***

 

今から10年前、私は今の会社に入社した。

最初の配属は「営業」。しかも、新規開拓を命じられた。まったく取引のないお客様先に行かなくてはならない。そして、最終的には商品を売ってもらい、継続的な取引をできるような関係性を構築することが求めらている。はたして、私にそんなことができるのだろうか。まったく自信がなかった。けれど、考えているだけでは商品は売れない。とにかくやってみる。それしか私には選択肢がなかった。

 

配属されてからというもの、見よう見まねで、毎日アポイントメントをとりつけるために電話をし、それが難しいときにはアポなしで飛び込みの営業をした。お客様からしたら、求めてもいないのにまったくの新参者、しかも大学生と大して変わらないような小娘がノコノコやってきて、必要としていないのに「会ってほしい」「話を聞いてほしい」と言ってくるのだから、やっかい払いをされることが当たり前。そりゃ忙しいもん。迷惑だよな、ごめんなさい。そう思いながら、毎日違うドアをノックする日々が続いた。

 

正直、辛かった。

自分の存在が認められていないような、気さえした。

でもその日々の中で、少しずつ何かが変わっていった。

最初は挨拶しかしていなかったお客様が、少しずつ心を開いてくれていろんな話をしてくれるようになった。

相談があるから、ちょっと来てくれないか、と言われることが少しずつ増えていった。

 

最初は、仕事がゼロだったのにいつのまにか、毎日少しずつの積み重ねるうちに、仕事が増えて行った。

それと同時に、仕事が楽しくて楽しくてたまらなくなった。だって、お客様と感動を分かち合えるのだから。がんばれば頑張った分だけ評価してもらえて、小さな気遣いとか小さなプラスアルファが、評価されて、頼りにしてもらえるのだから。必要としてもらえるのだから。

学校の試験とは全然違う。形式的な数字、点数での評価ではない。メール一通、電話一本、1つの商談の内容によって毎日評価されている。正解はたくさんあるだろうけど、その中でも自分らしくかつお客様にとって最適である「正解」を見つけていく。毎日が試験って、すごい楽しいじゃないか。ねぇ、お父さん、毎日試験っていいものなんだね。

 

案件ゼロのスタートから1年も経つと、ありがたいことに案件は増え続けて行った。そのおかげでほぼ毎日夜遅くまで仕事をし、週2~3回はタクシー帰りと言う時もあった。でも、自分を必要にしてくれるお客様がいるだけで、嬉しくて、お客様から感謝をされるとよりがんばろうと思える。だから、帰りが遅くても、友だちとの飲み会をキャンセルしなくてはならなかったとしても、全然苦ではなかった。

それから6年経ったくらいから、少しずつこの気持ちが変わっていった。だんだんとお客様の期待に応えようとすればするほど、自分を傷つけているような感覚になるようになった。本当は疲労がたまっていて休みたいから帰りたいけど、お客様から依頼は断れず、できるだけ早く対応したいから仕事をする。仕事の量は増える一方で、どんなに早く仕事をこなせるようになっても、帰る時間はどんどん遅くなる。自分では制御できないほど仕事に追われるようになっていく。それと同時に、お客様への丁寧な対応や、声をかけてくれてありがたいという気持ちがだんだん薄れていく。

そんな生活が続いていった。

もう限界かもしれない。いつしかそう思うようになっていた。

でも、今まで育ててくれたお客様と離れたくない。ここまで育ててくれた上司、先輩を裏切りたくない。

自分の中で、まったく正反対の気持ちがいったりきたりして、もうどうしたらいいか分からなくなった。体も頭もフリーズしてしまった。まったく動かない。簡単なメールの返事さえも打てない。会社に行って自分のパソコンの前に座っても、文字通り、何もできなくなってしまった。

 

もう、この生活からは卒業しよう。

 

そう決めた。次のステップに行く時が来たのだ。学校の「卒業」とは違って、自分で「卒業」を決めなければならないのは、辛い。自分で決めることの責任が、自分に100%ふりかかってくれる。大人になっても、誰かが決めてくれたらいいのに。誰かがそう言ってくれたらいいのに。でもそうはいかない。

会社を辞める。そう決意した。

 

その気持ちをお世話になった上司におそるおそる「辞めたい」という主旨を伝えると、意外にも、スタッフにならないかという提案をもらった。え、スタッフになれるの? 他の部署でも働いていいの? 正直、驚いた。転職するしかないと思っていたのだから。辞めたいという気持ちが沸き起こったことに対して、後ろめたい気持ちしかなかった。けれど、もしかしたらこれが日々の試験を受けてきた結果なのかもしれない、と初めて自分をほめることができた。毎日の試験、ちゃんと受け続けていてよかった。卒業を決めるのは辛かったけれど、毎日の試験を受けていたからこそこれから新たな一歩を踏み出せると思えた。

 

卒業は、悲しい。慣れ親しんだ人から離れなければならない。確かにそうだと思う。けれど新たな一歩を踏み出すためには、必要なプロセスなのかもしれない。

私は、この大きな卒業をし、新たな部署への入学をした。それから、営業の時の経験を活かして仕事ができることへの感謝をしながら働いている。転職していたら絶対に味わえなかっただろう。

そして、仕事だけではなく、自分のやりたいことをやりたいままにすることができるようになった。このライティング・ゼミへの参加もそのうちの1つ。今まで文章を書くことは苦手だったのに、何かのめぐり合わせでこうして今、文章を書いている。そのおかげで、自分がこれからどうしていきたいか、自分とは何者なのか、をよく考えるようになった。身の回りにある些細なことに疑問を持ち、考えるようなった。一気に自分の世界が開けていくような感覚になっていく。今、ライティング・ゼミで毎週試験を受け、また卒業に向かって突き進んでいる。さて、どこを卒業のポイントにしようか。それを考えているだけでわくわくする。やっぱり「卒業」はいやなものではないのかもしれない。これからは、その「卒業」をより感動的なものにしていくように、日々試験を受けていきたい。

 

※天狼院書店「ライティング・プロフェッショナル」の試験で、提出した記事です。誤字脱字ありますが、そのまま掲載します。

花粉症をみとめたくない問題

くしゅん。

「あれ? 花粉症?」

「えー! ちがうよー! 」

はぁぁっくしゅん。

「やっぱり花粉症じゃない?」

「ちがうってー」

 

なんででしょう。花粉症を認めたくない。認めたがらない人っていませんか。

それ、私のことです。

大学3年生のころだったでしょうか。花粉症の症状が少しずつでてきました。最初は、くしゃみが少々。じきに、目がかゆくなって、今では頭が痛くなって肌も荒れるようになりました。もうこうなったら、正真正銘「花粉症」だと認めざるを得ないので、もう全面降伏を申し出ております。

しかし、初期「くしゃみ」ステージでは、認めたくない。認めたら負け、のような変な意地がありました。このくしゃみは、ただの突発的なくしゃみなだけで、決して花粉によるものではない。私は花粉には耐性があるんだと変な自信があって、それを思い込んでいて、もうそれは、かたくなでした。周りからしたら、なんだよそれ、ってかんじだったかもしれません。もし、病院に行って「花粉症」の烙印を押されてしまったもんなら、それはもう素直に認めざるを得ないので、どんなにくしゃみが多くても病院には行きませんでした。認めてしまえば楽なのに。なんだそのどうでもいい意地は。自分でも意味が分かりませんが、きっと「花粉症にならない自分」を信じたかったんだと思います。

 

私は自分に自信がない。そのわりには、自分の身体については根拠のない自信があって。あ、身体といってもプロポーションだとか肌のキレイさとかではなく、健康に関してです。風邪をひいても、ケガをしても、身体のどこかが痛んだとしても、大丈夫と思ってます。自分の治る力「自然治癒力」をとことん信じています。だから、風邪をひいてもちょっとやそっとじゃ薬には頼らない。頼りたくない。だから、バスや飛行機などに酔うこともあるのですが、今まで酔い止めの薬は飲んだことがありません。

花粉症についても、自然治癒力をとことん信じていました。しかし、今のところこの件に関しては、花粉の勝ちのようです。やつは強い。しぶとい。今のところ、まったく身体が成長してくれていません。今でも、治ると信じているんだけどなぁ。

 

ついに本格的に花粉の季節がやってきたようです。辛い季節です。昨日も夜中に鼻水がツーっと出てきて、それが止まらなくて睡眠を阻害されてしまいました。いじらしい奴め。この症状がでてきたということは、春のおとずれもあと少し、ということでもあります。

花粉のことはさておき、今年の春もきれいな桜も見たり、春物の明るい服を着たりするのが楽しみです。そして、また新人研修の季節がやってきます。新たな出会い、わくわくです。