キヨおばあちゃんから学んだこと
「もう一週間終わったのか……」
年を重ねると、あっという間に時間がすぎるとは言うけれど、本当にそうだなぁと最近つくづく思う。体感的に言うと、一日が半日くらいに感じる。一週間は3日くらい。あれ? 計算合わないかもしれないけれど、でも、本当にそんな感じがする。この調子でいったら、すぐにおばあちゃんになっちゃいそうだ。私は、時間を大切にできているのだろうか。仕事と家の往復することを毎日毎日くりかえしているけれど、ちゃんと「今」を大事にできているのだろうか。それに、こんな毎日を送っていて、私はキヨさんに少しは近づけているのだろうか。私の憧れの女性、キヨさん。私のおばあちゃんだ。
キヨさんは、いつもニコニコしている。あたたかくて、ころころした笑顔だ。いつも「めぐさん」と優しい声で、話かけてくれる。私たち家族は埼玉で、キヨさんは福岡。だから、本当に残念なことに、小さいころから数えても片手で足りるほどしか会っていない。
そんなキヨさんが、1か月ほど我が家に滞在することがあった。あれは、私が大学生のころだから、もう10年以上前のことだ。
もともと私は、大学の授業・サークルやバイトとなぜか忙しくせわしない生活をしていた。それに加えて、大学まで片道約2時間かけて通っていたので、帰りはいつも遅かった。けれどキヨさんはそんな私の帰りをできる限り待っていてくれていた。
ただいま~!
めぐさんおかえり。寒かったやろ。
何気ないこんな会話も、私にとって幸せそのものだった。あたたかい会話。もっと一緒にいたかった。もっと話をしたかった。それなのに、私はもともとの「せわしない生活」を変えることができなかった。大学の授業も、サークルも楽しくて、友だちとの時間を優先した。もし今その時に戻れるなら、キヨさんとの時間をとるのに……。
知的なキヨさんは、なにごとにも好奇心が旺盛だった。私が毎週楽しみにしている「花盛りの君たちへ」というドラマを一緒にみては、よく分からないシーンでケラケラ笑っていた。あれは、何がおもしろかったのかな。聞きたい……。ねぇ、ばあちゃん、あれは何が面白かったの?
よくばあちゃんは私に、こういった。
めぐさんは、よかねぇ。これからの日本を見られるけん。これからどんな世の中になっていくんか、楽しみやねぇ。
もう80歳をゆうに過ぎているのに、世の中に対する意見をしっかり持っている人だった。これはこうやろな~、と誰に言うでもなく新聞を読みながら小さな声でつぶやいているのを聞いたことがある。笑顔の裏で、いろいろなことを考えているんだなぁ。すごいなぁばあちゃんは。優しくてあったかくて、でも博識で好奇心が旺盛で。あぁ、私はこんな人になりたい、とそのときじんわりと思った。
それから、8年後、私は仕事で福岡を訪問する機会があった。ばあちゃんは、福岡県宗像市の高齢者施設に入っていた。どんなに時間が少なくても、一目キヨさんに会いに行こうと決めた。
ばあちゃんには知らせない、サプライズ訪問。
私のこと、覚えているかな。分かるかな。どんな反応するかな。ドキドキしながら、ばあちゃんの部屋に向かった。
おそるおそる部屋に入ると、小さくなった、本当に小さくてか弱いキヨさんがベッドに横たわっていた。消えそうなくらい、か弱い。かわいそうに……。
私に気付くと、「めぐ……さん……?」
そうだよ、めぐだよ。ばあちゃん元気だったね。
とっさに、手を握った。ばあちゃんは、泣いていた。泣いて喜んでくれた。私も嬉しいよ、ばあちゃん。元気でよかった……、ずっとずっとここにいたいよ……。
めぐさんは、よかねぇ。これからの日本を見られるけん。これからどんな世の中になっていんか、楽しみやねぇ。
まただ。こんなにもう弱っているのに。またそう言っている。涙を流しながら。切に思っているんだ……。ばあちゃん、私も見せてあげたかったよ……。
私は、ばあちゃん孝行らしいことは、なにもできなかった。あんなに時間はあったのに。ばあちゃんとの時間は、限られていたのに。とても貴重なものだったのに。それに大学生の時の私は全く気付いていなかった。なにやってんだ、私は。
でも、あの1か月の生活も、社会人になってから会った少しの時間も、私の心にしっかりと刻まれている。私は、キヨさんみたいになりたい。そうだ、そうだった。
時間は限られている。それは、みんな平等だ。大切な時間を何に使うか、もっとちゃんと考えていこう。キヨさん、私はキヨさんみたいな女性を目指して、これからがんばっていくよ。
だから、キヨさん、上からちゃんと見ていてね。
休日出勤もこれがあれば帳消しになるという話
休日出勤。もう、その言葉を聞いただけで、ダメージをくらう。休日は休むためにあるのに。平日一生けん命に働いたのに、また働くんかい。なにより、5日以上連勤することへの身体の消耗が激しい。夜6時ごろに帰れる時期はいい。しかし、たいてい休日出勤というのは、忙しいとき、つまり帰りが21時22時になるときに発生するのだから、もうたまらないのである。
昨日は、そんな休日出勤だった。この一週間疲れていたらしく、朝いつもはスっと起きてくれるのに、この日はヌメヌメな起床。集合時間ギリギリの出発だ。外は休日の朝らしく、家を出ると人もまばらだったことが助かった。猛ダッシュ。人目がないのをいいことに、32歳女、走る。走る。走る。とにかくものすごい勢いで走り抜けた。遅刻か、遅刻でないか、の綱渡り。電車の中で、気だけが仕事現場の会場に着きそうになるくらいだった。しかしながら、ぎりぎり遅刻での到着だった。あぁ、最悪だ。なにやってんだ。休日出勤のうえ、遅刻だなんて。とにかく挽回するため、到着して早々に、接客を開始。気持を切り替えるために、ひたすら当社ブースに訪れるお客様にくるったように声をかけ、帳消しにしようとした。いや、もちろん、この事実は帳消しにはならないのだけれど。
と、あまりいいとは言えない休日のスタートを切ったわけですが、結果的にいうと、この日はとても最高な1日だった。
天気もいい。花粉はたくさん飛んでいるけれど、太陽さんさんでうららかだ。もう春も近いと感じられることも気分を上げてくれた。仕事が終わり、一緒に出勤していた普段から仲の良い同僚と、代々木公園を左目にとらえながら目的地に向かう。
道すがら、すれ違う犬連れの方々。犬も雑種とかではなく、とてもきれいな犬で、飼い主もどことなく身なりがきれいな人が多い。意外と、代々木というのは、セレブの街らしい。
あ、あれかな? うん、あれみたいだね。
私たちが目指していた店は、一目で分かった。なんせ、15時にもかかわらず行列ができていたのだから。そこは、パン屋さん。いろんな雑誌やサイトで取り上げられている有名店だ。行ってみたいと心のどこかで思っていながら、なかなかチャンスがなかった。たまたま仕事の現場から近いとあって、休日出勤後の行先はすんなりその店に決定した。
10分くらい待っただろうか。あれやこれやと話していたので、あっという間だった。店に入ると、ほんわり温かい匂いに包まれる。あぁ、なんて幸せな空間。ずっとここにいたい。ずっとパンたちをみていたい。どうしてもにやにやが止まらない。もはや、変態だ。店員さん、変態がパンを買おうとしていますよ。食パンは割と小ぶりだけれど凛としていて美しいし、チョコクロッカンというパンも小ぶりだけれどお行儀よく丸い小さなチョコがパンの切れ込みに並んでいて可愛い。それに、白あんこのあんぱんも、控え目にコロっと丸まっていて素敵だ。もう、もう、ここはパラダイスだ。楽園だ。
これもかわいいね。あれもおいしそう。
同僚とはしゃぎまくって、気がづいたら、手元のトレイにはパンがぎっしり並べられていた。1人暮らしなのに、バカだ。ほら、でも、今は冷凍という技術があるからね。と自分に言い聞かせて、2000円弱分のパンを購入した。
はぁ、なんだこの満足感は。なんなんだ。さっきまで仕事をしていたことなんて、とっくのとうのことのように忘れていた。
よし、次は姉妹店に行こう。そこは、パン屋さんと提携しているお店で、ランチを営業している。腹ペコの私たちの足は、自然と急ぐ。30秒くらい歩くとすぐにあった。なんてオシャレなお店。自然と期待が高まる。大きな木のドアを開けると、紺と白のボーダーのシャツを着た店員さんたちがこちらを振り向く。おいしそうなコーヒーの匂いが店全体に漂っている。
いらっしゃいませ。トイレが故障しているので使えませんが大丈夫ですか?
え、第一声がその宣誓ですか。全然かまいません。そんなの全然問題ございません。ということで、着席。メニューは、ハンバーガーやサンドイッチがメイン。私たちは、迷わずハンバーガーを注文した。
もしかしたら、今まで食べたハンバーガーの中で一番おいしいかもしれない。いや、確実にそうだ。1000円を超える高級なハンバーガーというのは、たいてい大きくて、棒みたいのが真ん中で貫通していて、お口のサイズよりもハンバーガーの縦幅が大きいので、結局はバラバラに食べざるを得ない。要は、ハーモニーを楽しめないものが多い。しかし、ここはというと一口でパクっといけるサイズ。お肉とパンと葉野菜を一気に楽しめる。あぁ、美味しい。お肉が、コリコリ。パンは、サクサク。なんと、まぁ……。言葉になりません。語彙力がなくて、伝えられないのがもどかしい。気になった方は是非行ってみてください。
☆代々木公園駅☆
「365日」(パン屋)
「15℃」(365日の姉妹店、ハンバーガーサンドイッチのお店)
↑写真、へたで、すみません。
あぁ、このお店に来れてよかった。どのお店に入るか、何をたべるのかで気分は変わるものですね。そしてなにより、誰と行くかですな!(ざわちん、楽しい会話をありがとう! しっかし、話し出すと止まりませんなぁ)
さぁ、今日は完全な休日! 楽しみましょう!
大人の「卒業」っていいものかもしれない
「大人には、テストも卒業もないからいいよねー」
いつだったか、父にこう言ったことがある。たしか高校の時だったと思う。その時は、学期ごとの中間試験や期末試験に追われていて、なんで定期的に学力を判断されて、順位までつけられて、それに苦しまなければならないのだろう、と真剣に思った。卒業だって、3年、4年、6年経ったら自動的にやってくる。それも、こちらの本意ではない。やっと心打ち解けて、いろんな思い出を作ってきたのに。どうして離れなければならないんだろう。慣れ親しんだ友だちと離れるのはどんなときでもいやだった。
父は、ちょっと考えて微笑みながらこう答えた。
「そうだね、たしかに大人になったらテストも卒業もないけどね、毎日が試験で卒業は自分で決めていかなければならないんだよ」
毎日が試験? え、どうゆうこと? うちの父は家では仕事はしなかったし、私の見える範囲では勉強をしているようには思えなかった。意味がわからない。それに、大人になってからの卒業って何? 一生同じ会社に行くんでしょ。何言ってんだかよくわからない。でも、ま、いっか。その言葉はそのままスルーした。
けれど、自分が社会人になってみると、この言葉が肌身を通してよく分かる。分かりたくなくても分かってしまう。1つの言動、1つの文書、1つのプロジェクト、どんな些細なこともこれらが積み重なって自分への評価につながるし、「卒業」は自分で決めていかなければならない。どのポイントまでいったら、次のステップに進むか。学校のように「はい、あなたもう次のステージですよ」というような自動的なものではない。今までの学校教育の卒業が「受動的」だとしたら、これからの卒業は「能動的」なのだ。自分で決めなければいけない。
社会人になってから、大きな卒業を一度経験した。それは、とても大きな決断だった。そのときは自分にとって、この卒業がいいことだったのか分からなかった。怖かった。だけど、今ならその答えが分かる。
***
今から10年前、私は今の会社に入社した。
最初の配属は「営業」。しかも、新規開拓を命じられた。まったく取引のないお客様先に行かなくてはならない。そして、最終的には商品を売ってもらい、継続的な取引をできるような関係性を構築することが求めらている。はたして、私にそんなことができるのだろうか。まったく自信がなかった。けれど、考えているだけでは商品は売れない。とにかくやってみる。それしか私には選択肢がなかった。
配属されてからというもの、見よう見まねで、毎日アポイントメントをとりつけるために電話をし、それが難しいときにはアポなしで飛び込みの営業をした。お客様からしたら、求めてもいないのにまったくの新参者、しかも大学生と大して変わらないような小娘がノコノコやってきて、必要としていないのに「会ってほしい」「話を聞いてほしい」と言ってくるのだから、やっかい払いをされることが当たり前。そりゃ忙しいもん。迷惑だよな、ごめんなさい。そう思いながら、毎日違うドアをノックする日々が続いた。
正直、辛かった。
自分の存在が認められていないような、気さえした。
でもその日々の中で、少しずつ何かが変わっていった。
最初は挨拶しかしていなかったお客様が、少しずつ心を開いてくれていろんな話をしてくれるようになった。
相談があるから、ちょっと来てくれないか、と言われることが少しずつ増えていった。
最初は、仕事がゼロだったのにいつのまにか、毎日少しずつの積み重ねるうちに、仕事が増えて行った。
それと同時に、仕事が楽しくて楽しくてたまらなくなった。だって、お客様と感動を分かち合えるのだから。がんばれば頑張った分だけ評価してもらえて、小さな気遣いとか小さなプラスアルファが、評価されて、頼りにしてもらえるのだから。必要としてもらえるのだから。
学校の試験とは全然違う。形式的な数字、点数での評価ではない。メール一通、電話一本、1つの商談の内容によって毎日評価されている。正解はたくさんあるだろうけど、その中でも自分らしくかつお客様にとって最適である「正解」を見つけていく。毎日が試験って、すごい楽しいじゃないか。ねぇ、お父さん、毎日試験っていいものなんだね。
案件ゼロのスタートから1年も経つと、ありがたいことに案件は増え続けて行った。そのおかげでほぼ毎日夜遅くまで仕事をし、週2~3回はタクシー帰りと言う時もあった。でも、自分を必要にしてくれるお客様がいるだけで、嬉しくて、お客様から感謝をされるとよりがんばろうと思える。だから、帰りが遅くても、友だちとの飲み会をキャンセルしなくてはならなかったとしても、全然苦ではなかった。
それから6年経ったくらいから、少しずつこの気持ちが変わっていった。だんだんとお客様の期待に応えようとすればするほど、自分を傷つけているような感覚になるようになった。本当は疲労がたまっていて休みたいから帰りたいけど、お客様から依頼は断れず、できるだけ早く対応したいから仕事をする。仕事の量は増える一方で、どんなに早く仕事をこなせるようになっても、帰る時間はどんどん遅くなる。自分では制御できないほど仕事に追われるようになっていく。それと同時に、お客様への丁寧な対応や、声をかけてくれてありがたいという気持ちがだんだん薄れていく。
そんな生活が続いていった。
もう限界かもしれない。いつしかそう思うようになっていた。
でも、今まで育ててくれたお客様と離れたくない。ここまで育ててくれた上司、先輩を裏切りたくない。
自分の中で、まったく正反対の気持ちがいったりきたりして、もうどうしたらいいか分からなくなった。体も頭もフリーズしてしまった。まったく動かない。簡単なメールの返事さえも打てない。会社に行って自分のパソコンの前に座っても、文字通り、何もできなくなってしまった。
もう、この生活からは卒業しよう。
そう決めた。次のステップに行く時が来たのだ。学校の「卒業」とは違って、自分で「卒業」を決めなければならないのは、辛い。自分で決めることの責任が、自分に100%ふりかかってくれる。大人になっても、誰かが決めてくれたらいいのに。誰かがそう言ってくれたらいいのに。でもそうはいかない。
会社を辞める。そう決意した。
その気持ちをお世話になった上司におそるおそる「辞めたい」という主旨を伝えると、意外にも、スタッフにならないかという提案をもらった。え、スタッフになれるの? 他の部署でも働いていいの? 正直、驚いた。転職するしかないと思っていたのだから。辞めたいという気持ちが沸き起こったことに対して、後ろめたい気持ちしかなかった。けれど、もしかしたらこれが日々の試験を受けてきた結果なのかもしれない、と初めて自分をほめることができた。毎日の試験、ちゃんと受け続けていてよかった。卒業を決めるのは辛かったけれど、毎日の試験を受けていたからこそこれから新たな一歩を踏み出せると思えた。
卒業は、悲しい。慣れ親しんだ人から離れなければならない。確かにそうだと思う。けれど新たな一歩を踏み出すためには、必要なプロセスなのかもしれない。
私は、この大きな卒業をし、新たな部署への入学をした。それから、営業の時の経験を活かして仕事ができることへの感謝をしながら働いている。転職していたら絶対に味わえなかっただろう。
そして、仕事だけではなく、自分のやりたいことをやりたいままにすることができるようになった。このライティング・ゼミへの参加もそのうちの1つ。今まで文章を書くことは苦手だったのに、何かのめぐり合わせでこうして今、文章を書いている。そのおかげで、自分がこれからどうしていきたいか、自分とは何者なのか、をよく考えるようになった。身の回りにある些細なことに疑問を持ち、考えるようなった。一気に自分の世界が開けていくような感覚になっていく。今、ライティング・ゼミで毎週試験を受け、また卒業に向かって突き進んでいる。さて、どこを卒業のポイントにしようか。それを考えているだけでわくわくする。やっぱり「卒業」はいやなものではないのかもしれない。これからは、その「卒業」をより感動的なものにしていくように、日々試験を受けていきたい。
※天狼院書店「ライティング・プロフェッショナル」の試験で、提出した記事です。誤字脱字ありますが、そのまま掲載します。
花粉症をみとめたくない問題
くしゅん。
「あれ? 花粉症?」
「えー! ちがうよー! 」
はぁぁっくしゅん。
「やっぱり花粉症じゃない?」
「ちがうってー」
なんででしょう。花粉症を認めたくない。認めたがらない人っていませんか。
それ、私のことです。
大学3年生のころだったでしょうか。花粉症の症状が少しずつでてきました。最初は、くしゃみが少々。じきに、目がかゆくなって、今では頭が痛くなって肌も荒れるようになりました。もうこうなったら、正真正銘「花粉症」だと認めざるを得ないので、もう全面降伏を申し出ております。
しかし、初期「くしゃみ」ステージでは、認めたくない。認めたら負け、のような変な意地がありました。このくしゃみは、ただの突発的なくしゃみなだけで、決して花粉によるものではない。私は花粉には耐性があるんだと変な自信があって、それを思い込んでいて、もうそれは、かたくなでした。周りからしたら、なんだよそれ、ってかんじだったかもしれません。もし、病院に行って「花粉症」の烙印を押されてしまったもんなら、それはもう素直に認めざるを得ないので、どんなにくしゃみが多くても病院には行きませんでした。認めてしまえば楽なのに。なんだそのどうでもいい意地は。自分でも意味が分かりませんが、きっと「花粉症にならない自分」を信じたかったんだと思います。
私は自分に自信がない。そのわりには、自分の身体については根拠のない自信があって。あ、身体といってもプロポーションだとか肌のキレイさとかではなく、健康に関してです。風邪をひいても、ケガをしても、身体のどこかが痛んだとしても、大丈夫と思ってます。自分の治る力「自然治癒力」をとことん信じています。だから、風邪をひいてもちょっとやそっとじゃ薬には頼らない。頼りたくない。だから、バスや飛行機などに酔うこともあるのですが、今まで酔い止めの薬は飲んだことがありません。
花粉症についても、自然治癒力をとことん信じていました。しかし、今のところこの件に関しては、花粉の勝ちのようです。やつは強い。しぶとい。今のところ、まったく身体が成長してくれていません。今でも、治ると信じているんだけどなぁ。
ついに本格的に花粉の季節がやってきたようです。辛い季節です。昨日も夜中に鼻水がツーっと出てきて、それが止まらなくて睡眠を阻害されてしまいました。いじらしい奴め。この症状がでてきたということは、春のおとずれもあと少し、ということでもあります。
花粉のことはさておき、今年の春もきれいな桜も見たり、春物の明るい服を着たりするのが楽しみです。そして、また新人研修の季節がやってきます。新たな出会い、わくわくです。
クリームパンにはかないまへんわ
明日世界が終わるとしたら何食べたい?
こんな会話、だいたいの人がしたことあると思います。え、したことないって? もしそうだったら、ぜひ考えてみてください。
うーん、なにかなー。なにたべたいかなー? そろそろ、ぽわぽわーん、と浮かんできましたか?
さぁ、なんて答えましょうかね。考えただけで、わくわくニヤニヤでれでれしてしまいますね。あ、私だけか。
お寿司もいいなー、築地の新鮮なやつ! それに、北海道のじゃがバターもいいなー、バターたっぷりめでお願いします! いや、松坂牛をたらふく食べるのも捨てがたい! 肉! ニク! にく! でも、でも、やっぱり、私は、クリームパンが食べたい! ふんわりしたカスタードクリームを頬張りたい! 焼きたてでほっこりするやつ! あ、もうこれしかない。あぁ、もう、絶対にクリームパンしか最後の日の座は譲れないですわ!
最後の食事を明け渡すという特待ともいえる待遇にもかかわらず、いつからクリームパンが好きになったのかよく覚えていない。あー残念。初めてクリームパンを食べた日を、クリームパン記念の日にしたかったのにー。まぁ、覚えていないのだから、きっとクリームパンとの出会いは特段、衝撃的な出会いなどではなく、なんら運命的なものではなかったのかもしれない。でも、小さいころから安定のプリン好きだったから、きっとクリームパン好きの原石は生まれながらにして持ち合わせていたのでしょう。
クリームパンのなにがいいって、あのフォルム! 可愛くないですか? 可愛すぎるでしょ! ずるいでしょ! だって、太った人がグー握った時と同じだよ? 焼く前になんでその切れ込みいれた! いやぁ、もう、奇跡的なセンスに乾杯ですよ。最近シャレぶって、キューブ型のも出てきているけれど、あんなの邪道すぎる。全然かわいくない。お行儀よく四方八方、カクカクしやがって。あんなの、クリームパンじゃない! クリームパンとは名乗っちゃいけない! 可愛い可愛いフォルムのあの子を手に持つからこそ、喜びもひとしおというものだ。
そして、あのテカり! 食べてよー食べてよーってこちらに語りかける、あのテカリ。そんな顔されちゃったらすぐにでも、かわいいなーーといじらしい気持ちになって、大きな口をあんぐり開けてしまうじゃないか。あれは、焼く前にたっぷり卵黄を塗るから綺麗にテカリがでるんですよねー! それ思いついた人、すばらしい! グッジョブですよ!
そしてそして、本丸のカスタードクリーム! これがまぁ、奥が深い! 固いタイプもあれば、とろーりとろとろタイプもあるし、その中間で程よい固さのものもある。これは完全に好みですね。私はといえば……いや、この辺でやめておこう。
好きなもの、好きな食べもの、好きなひとのことって、どうしてこうも時間を忘れていくらでも語れてしまうんだろう。この「好きなこと」を、大切にしていきたい。丁寧に接していきたい。そんな風に思う。がさつな私はもう封印して、ゆっくりじっくり好きなことに向き合いたい。
まだまだ全然記事をかくのに時間もかかるし、面白いものや感動してもらえるものは書けない。ただ好きってだけなのだけど、でもやってみたくて、少しでもその空気を吸ってみたくて。だめ元でチャレンジをしてみることにした。お誘いというか、営業を受けて、仕事帰りにガパオを食べながら悩んだのだけど。思い切って、恥を承知で、今受けているゼミの上のクラスの受験をしてみることにした。やってみるのは、タダだし(ほんとはちょっとお金かかってるけど笑)。どうなるかは分からないけど、自分の思いのまま、流れに乗って生きていこうって思って。クリームパンに匹敵するくらいもっともっと大好きになれるように、自然な気持ちを信じて突き進んで生きていきます!
トルコ人に道を教えたらキレられたのはなぜだろう
「アナタ、なぜワタシに会いたいと言わない! ワカラナイヨ!」
さっきまで楽しそうに話していたトルコ人の男が、急にキレ始めた。道案内をしただけのに……。なんで怒っているのかこっちがワカラナイよ。
***
「エクスキューズミー」
それは突然の出会いだった。日曜の昼下がり、私は池袋駅の中をひとり歩いているところだった。考えごとをしながら歩いていたので、周りの音や風景はあまり頭に入ってこなかった。そんな時に、聞き慣れないイントネーションの言葉がふと耳にはいってきて、瞬発的に止まらなければ、と思った。とっさに過ぎ去りそうになった足を半歩戻し、不自然に止まる。あれ、声の主はどこだ、と探ると、私の視界には身体しか見えない。どうやら思っていた以上に背が高かったようだ。154cmの私はぐっと目線を上にあげて、彼の顔をみた。おぉぉ、濃い! 顔のホリが深い! 鼻が高い! 目が大きくて髪は黒い。インド人かな? とにかく、想定外のタイプの方とのご対面だったので、一瞬たじろぐ。ただ、これはチャンス。英語を話せるではないか! 英会話を習いはじめた私は、急にテンションがあがる。
「ウェア イズ セイブライン?」
おぉ、西武線に乗りたいのね? オーケーオーケー! 今わたしたちがいる場所からはすこし離れていたため、大まかにどのあたりに乗り場があるのかをたどたどしくも説明する。なんとか伝わっていたようだったが、彼は意外にも、連れて行ってほしいと私に願い出てきた。急用もなかったので、二つ返事で快諾。西武線乗り場をめざし、一緒に歩き始めた。道中、彼は一方的に、かつかなりのスピードで自分のことを話してくれた。自分はトルコ人で、日本の車メーカーの会社で働いていること。日本に来たのは初めてで、もう4か月滞在していること。日本の他に、ニューヨーク、韓国、台湾などに行ったことがあること。とにかくすざまじいほどのマシンガントークなので、あいづちを打つひましか与えてもらえない。そうこうするうちに、西武線乗り場に到着した。なのに、彼は乗り場に向かおうとしない。なぜだ、なぜなんだ。まだ話し続けている。自己紹介が続く。止まらない。もういいよ、わかったよ。こちらの気持ちなど意にも介さず、彼は話し続ける。
「このあと30分くらいしゃべらない?」
彼は唐突にそう言った。30分……、かぁ。正直私はこの10分そこらの会話で、もうお腹がいっぱいだった。解放されたかった。
ごめんね、私、行かないと……。
「じゃあいつ会える? 明日? 明後日? いつならいいの? また会いたい」
今週はちょっと仕事が忙しくて難しい。
「日本人、みんな忙しいっていう。本当に忙しいの?」
そうだね……。ごめんなさい。
「忙しい、忙しいって言って、本当に忙しいのか。なんで、あなた、私に会いたいって言わない! 分からない!」
なぜか、このトルコ人はキレていた。意味が分からない。どうして私が、あなたに会いたいって言わないといけない! 全然分からない。分からなすぎて、言葉が出てこない。ただ、道案内をしただけだ。なのに、今、目の前の彼はキレている。どうすればよかったのだろう。どうしたらこの状況を回避できたのだろうか。
しばらく彼は言いたいことを言い続けていた。一方的に。それを聞きながら、私は私の中で、彼がなぜ怒っているのかゆっくり考えてみた。結論から言うとどうやら彼の目的は、道を聞くことではなかった。はっきりとは言わないけれど、つまりはそうゆうことらしい。そしてたぶん私だけではなく、過去何度もこうゆうことをしているように感じ取れた。そう、西武線なんて、どうでもよかったのだ。それが目的ではない。道を聞くことをきっかけに、彼は日本人の友達を作りたかったのだ! それならそうとそう言えばいいのに、この肝心なところは言わない。一番大事な本当の目的を言わずに、自分の思い通りにならないことに腹を立てて、子どものようにダダをこねているのだ。そうと分かると、彼と分かり合えることはない。今は彼の気持ちを沈めることより、この場を早々に離れることのほうがよさうだ。こうなったらしょうがない。こちらの卑怯さを承知で、謝り侍になりとにかくあまり心のこもっていない謝罪を繰り返し、その場を離れた。
きっと、彼はトルコ生まれのジャイアンだ。私はのび太。のび太は、秘密道具をかしてと言われてかしてあげたのに、返してというとジャイアンにキレられる。ジャイアンは、借りるのではなく、自分のものにしたかったの 。そんなことは知らないのび太は、殴られる。力づくで奪われそうになるなんて……。
なんやかんやと言われたけれど、この出会いは、私にとっては結構おもしろい出会いだった。いろんな人がいる。ほんとに。そして、彼が話してる英語はわりと理解できたのかもしれない。なんだか、そっちのほうが嬉しくて嬉しくて、すこしいい気分。あ、もしかして、こうゆうところなのだろうか、私がキレられるのは。タラレバ的に言うと、英語がもっと話せたら、すこし違う展開になったのかなぁ。